Honeyview_アポカリプス

聖職者は言った、「死ね」と

1.
私の日々の暮らしをお伝えしましょう。日が昇る前に起き、冷たい水で身を清めます。神に祈りを捧げ、糧がある事に感謝をしながら、大麦粥の質素な朝食を頂きます。

それから、熊手を持ち家の周りの落穂を掃きます。これは寒さが厳しい際の火種ともなります

辺りを見回すと、大概の日はふらふらと歩いている人がいます。私はその人に近づき、声を掛けます。

「おはようございます、今日も神の祝福がありますように!」

返事が帰ってこない事を確認すると、熊手を振り上げ、その頭に振り下ろします。いつものように。

それから、その日の"清掃"が始まります。

2.
大津波(огромное цунами)が始まり、そして収束してから五年が経ちました。

”Z”は冷静に対処さえすれば然程の脅威ではないと、今でこそわかっていますが、当時は何もかもが恐怖と未知であり、人口の密集した都市の有様は特に酷いものでした。

それ故に、当時に増えすぎた”Z”を減らすことは市民の義務でした。彼らが"生ける死者"などではなく、単なる"感染者"であることは混乱末期には知られており、聖職者はこの義務を免除されていましたが、私は進んでその役を引き受けました。

朝の日課を済ますと、ザレーチヌイ市(だった場所)へ一時間の道を歩きます。

赤軍の主力は今なおモスクワやレニングラードなどの旧中核都市の掃討に振り分けられており、忘れられた都市の"Z"は今も当時のまま蠢いています。

一人での働きは知れたものですが、いつか赤軍が来たときの助けになれば、そして何より、彼らに一日でも早く救いを与えたかったのです。

3.
その日の"清掃"を終えて帰路に就いた私は、家の方角に向かうヘリを見ました。『孤立清掃員』への物資援助はヘリ投下ですが、次回はずっと先の筈です。妙な予感がしました。

そして家にたどり着いた私は、それが当たっていたと知ります。

ヘリは我が家の前に降りていました。

(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?