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やっぱごぼう天二つで

起きた瞬間から、視界が揺れていた。

暑い。

「おー…起きたかー」
床で寝ていた与太郎が、顔も上げずに声をかけてくる。

「おお…今何時…?」
ぴくりとも動かない与太郎の答えを期待せず、枕元の時計を見る。11時。

部屋の中心の座卓に目をやる。缶、缶、缶、缶、缶、缶、缶。数える気も起きない。毎度のことながら、よくもまあ二人一晩でこれだけ飲んだもんだ。11時に目を覚ませたのは奇跡かもしれない。

「おまえ、今日必修は…?」
とっくに手遅れの質問を投げながら、空き缶の隙間から湿気ったクラッカーを見つけ出して齧る。

「お…うぉー、必修…!ちょっと待て…」
ようやく顔を起こした与太郎がスマホを確認する。
「おー良かった…今日は何もないわ…ブリテン(俺のあだ名だ、由来は聞くな)は?」
「普通確認してから飲むだろ…」
答えているうちに倦怠感が強まり、再びベッドに倒れ込む。

「はい出ったー、豪快ぶってコソコソ堅実なやーつー、マジ萎えるわー…」
憎まれ口への反応を待たず、与太郎は勝手に俺のゲーム機の電源を入れ、慣れた手付きでディスクを入れ替える。

ショッピングモールに大発生したゾンビを、辺りの日用品を活用して手当たり次第に殺していく。ゲーム本来の進行を無視した、雑でダラダラとしたプレイだ。ゾンビを豪快に掃討しているように見えて、回復剤や消耗品はみるみる内に減っていく。

「お前,その状態でセーブすんなよ…」
乾きかけたチータラを2、3本つまみながら、そう言うので精一杯だった。
目をつぶると世界が回転しているのが改めて実感できる。こいつは重症だ。

頭の横にはジョジョの60巻が開かれたまま。昨日は二人でチョコラータとセッコの真似をしていたところまでは覚えている。あの時点で何本目だ?最後、寝る直前に何かで言い合いになっていた気がするが、中身を思い出せない。

そうだ、暑かったんだ。エアコンをとにかく最強にして電源を入れる。冷風が直接素肌に当たり、火照った体を休息に冷ます。
「おおー…文明…」
「科学…」
「未来…」
「反重力マシーン…」

エアコンの発明者に心から感謝しながら、ジョジョを適当にめくる。セッコとチョコラータって本当に相性良いのか?

これはもう今日は終わりだな、ダメだ。
ジョジョを5ページ読み進める気力もなく、天井を見てただ呼吸だけをする。

「なんか…食うかー!」
ゾンビ殺しに飽きた与太郎が気の抜けた声で叫ぶ。コイツの声に気合が入ってるのを、俺は聞いたことが無い。
「うどん」
「それだ」
「麺蔵行っとく?」
「麺蔵…うぉー!行くか―」
「うぉー」

気の抜けた雄叫びを上げた俺と与太郎はのたのたと立ち上がり、もそもそと歩いて玄関に向かう。服は昨日のアロハシャツのまま、足元はいつもの草履だ。

玄関を開けた瞬間、熱風が流れ込み、既に軽く後悔が始まる。夏期休講に入る直前、一番クソ熱い時期。強烈な日差しに同調した頬の火照りで改めて自覚する。まだ二日酔いじゃないな、こりゃまだ酔ってるだけだ。

件のうどん屋はここから坂をずっと下ったところにある。普通なら徒歩で行くには遠すぎる距離だが、このコンディションで自転車に乗る気にはならず、どちらからともなく徒歩で向かうことになった。日差しがキツい。

与太郎が道沿いの自販機で水を買う。
「おー、半分くれ…」
「自分で買えよ」
「財布から金出すのがだるい」
「ほい」
「ざす…」
自販機の冷たすぎて飲みづらい水をそれでも勢いよく流し込む。少しでも残った酒を希釈しないと。
「あとでなんか返すわ…」
そう言って目減りしたペットボトルを返す。

10分ほど歩いても、目当ての店まではまだ1/3も進んでいない。
「徒歩、遅すぎる」
「人体はカス」
「強化メカ手術受けてえー」
「電脳生命体なりてえー」
だらだらと坂を下る。まだアセトアルデヒドに分解されきっていない体内のアルコールが愛おしかった。倦怠感と火照り、胃のもたれは強烈だが、吐き気と頭痛はまだ襲ってきていない。帰り道のことは考えたくもない。

アロハシャツの胸に挿していた扇子を開き、顔を仰ぐ。
「なんだそれは」
「うぃ」
水と引き換えに、与太郎に扇子を渡す。
「おおー、文明の利器だ…」
恍惚としながら自分に風を送る与太郎を横目に、水を飲む。もうすっかりぬるくなっている。
「昨日の最後、何か揉めてなかったっけ…」
「そんな気がするけど全く思い出せん」
「なんかめっちゃ言い合いになってたよな」
「思い出すのが怖いな」

目当ての店にたどり着いた頃には、日は一番高くなっていた。

よりにもよってこんな時間に来なくてもいいだろうに。平日だというのに、店の前には長蛇の列。府外からわざわざやって来る暇人も多い名店だ。マジで旨い。その癖、学生の昼飯にも気軽にできる価格。まあ当然混む。近くの学生なのに一番混む時間に来るような連中は、馬鹿か二日酔いの馬鹿だけだ。

「おー、クッソ並んでるなー」
「どうする?店変えとく?」
「いや、麺蔵!」
「まー平日だし、一時間半も並んどきゃ行けるだろ…」

二人して列の最後尾に並ぶ。
「ちょっと待ってろ」
与太郎に託して行列を抜け、通りの反対側にある自動販売機に向かう。

ありがたいことにトマトジュースが置いてあった。二日酔いに効くそうだ。効いたことはない。一本買って、飲みながら道を渡って戻る。

「サンキュサンキュ」
戻って与太郎に残り半分のトマトジュースを渡す。
「トーマトー」
与太郎も勢いよくトマトジュースを流し込む。二人とも味が好きなわけじゃない。
「トマトジュース、効いたことある?」
「無いわー」
「ウコン以外なんも効果実感したことない。ウコンも多分プラシーボ。なんも効かん。この世は闇」
「もう駄目だ、何も信じられない。全ては終わりだ」
「ノストラダムス…マヤ暦…水晶ドクロ…」
「アステカ…生贄の儀式…」
「「族長!!族長!!族長!!」」
「そういえば今日何食べる?」
「決めてなかったな…ざるうどんか…ネギのつけ麺とかかな…」
「やっぱその辺よな」
「ごぼう天つける?」
「おおー、ごぼう天…!」
この店はうどんは当然のことながら、単品のごぼう天が信じられないほど旨い。カレー粉を付けて食べるごぼう天は、特有の泥臭さは全く無く、しっかりとした歯ごたえと旨味だけが凝縮されている。

「…や、でもなー…今日は揚げ物マジ無理だわ」
「せやな、流石にうどんで限界やわ」
「絶対頼まねえ」
「それな」
ここまでたどり着いて並んでいる内にも、少しずつ酔いは二日酔いへと変わってきている。
せっかくだからごぼう天も食べたかったが、確実に後悔する。幾度となく痛い目を見て、俺たち二人もようやく学習したのだ。

「あ~~、だんだん気持ち悪くなってきた」
「俺も」
「まだ行列クソ長いわ」
「昨日やってたあの地下水路ステージくらい長い」
「アレなんであんな長いん」
「わー進んだ―はいグレネードで即死ーやり直しー。ゴミゲー」
「バカが適当に作ったマップ。カス。最悪」
「あそこ二度とやりたないわ」
「シラフでやったら即クリアしたりしてな」
「ありうる」
「たぶん完全に俺たちが悪い。お前ゲームデザイナーに土下座してこい」

二日酔いの気持ち悪さが増すにつれ互いの口数が減っていくが、沈黙の時間が一番アセトアルデヒドと向き合うこととなる。それから逃げるために、無難な話題を選ぶ。
「そういえばお前彼女とは最近どうなん」
「おー…言うの完全に忘れてた…先週別れたわー」
マジかコイツ。

「お前…そういうのはせめて飲んでる最中に言うのがマナーって奴ちゃうんかい」
「言われてみればそうだ!飲む方に集中して完全に忘れてたわ、リマインドしてこないお前も悪い!」
与太郎が胸を張る。殺すぞ。

少し考えて、スマホで予定を確認する。
「…で、お前明日は必修とかあんのけ」
「ええと、待て…明日も午後からしか無いな!」
「じゃ、今日も泊まってくか?まだ例の地下水路、最後までクリアしきってないし」
答えのわかりきった質問を投げかける。

「良いのかー」
「ええで」
「じゃ、食い終わったらシャワーだけ浴びてからすぐ戻るわ」
「了解。ところで、だ」
与太郎の目の前で人差し指を立てる。
「昨日の最後の話題思い出したわ…」
「おう」
「『男たちの挽歌』と『デスペラード』…どっちが傑作だ?」

「お二人様、店内へどうぞー」
いつの間にか、俺たちの番になっていた。
「やっとかー」
「やっとだな」
「食欲ある?」
「食ってみないとわからんやつだな」
店内に入ってもまだ数人分は待つことになるが、椅子があって冷房がある。勝ち確定だ。
「それはそれとしてな」
「おう」
「今日は酒無しだぞ」
「それなー、今日は酒マジ無理だわ」
「せやな、流石にノンアルで限界やわ」
「絶対飲まねえ」
「マジでそれな、ごぼう天くらい確実」

俺と与太郎は、二人して暖簾をくぐった。

(終)

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