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「歌う」の意味

録音技術が誕生する前は、生演奏しかなかった。当時の歌い手と演奏者たちは、演奏するその瞬間に全てを出し、それは残らないから、聴く方も、その場にいるしか参加する方法がなかった。

録音が生まれて、その場にいなくても録音されたものを後で聴くことが可能になった。それでも、その場限り演奏と、同時に歌い手が歌ったものを録る、主が「歌う」で、従が「録音物」という感じで始まった。

さらに録音の技術が進んで、磁気テープの上でトラックが分けられるようになり、歌と演奏が同時に行われなくてもよくなった。録音物としては、ここから飛躍的に表現の幅が広がっていく。4チャンネルに、何をどう振り分けて録音しようか、から始まって、複数台繋いで同時に再生/録音させたり、逆再生を混ぜたり、磁気テープの上で何ができるのか、の試行錯誤/実験が進む。

演奏に、不要な音やミステイクというような「傷」が生じたとき、その部分だけを修復する「パンチイン/アウト (drop in/out)」というテクニックがあり、アナログマルチテープという、24チャンネルで、15分だけ録音できる、というメディアに録音していた時代に、私は初めてマイクの前に立った。パンチイン/アウトは、人力による職人技で、フレーズごとにその瞬間にボタンを押してそのタイミングのみを録音し、その箇所が終わった瞬間に再度ボタンを押して録音状態から抜け出す「はめ込む」技術だった。

ちなみに、このアナログマルチテープは一本5kgほどの重さがあり、一曲を24トラック以内で録れたとして、3-4曲しか収められないもので、1枚目のblueを世界各地のミュージシャンと彼らのホームで録音する、というコンセプトを叶えるために持ち歩いた機材とテープの総重量はかなりのものだった。1998年あたりのこと。

そのあと、技術はデジタルに移る。トラック数は無限になり、トラックごとの、はめ込み技術だけでなく、混ぜ合わせ、コピーを含めた加工が飛躍的に容易になる。なんだってできる世界が現れて、私も一度だけ、ゴーストボーカリストを請け負った。ディレクターが、どうしても「歌えていない」と判断した女性ユニットの声の「幹(ボディ)」の部分を私が歌い、あとでその二人の声をブレンドしてCDリリースされた。そのときの録音エンジニアの人によると、80%くらいを私の声にして、表面に20%くらい二人の声を混ぜたんだそう。

何でもありだし、何でもできる世界に突入したとき、では自分はどうしたいのか?という問いが立つ。リアルではあり得ないことを技術的に追求して新しいものを作る、という選択もあるだろうし、人の感情や「揺れ」を大事にしてその記録としての意味合いを求めることもできる。

私自身は、断然後者だったから、録音に対して技術を用いるのは、その時の採用したいテイクに傷が生じた場合のみ修復することにして、基本的には一本丸ごと使う、を選んだ。中には、演奏と歌を同時に「一発どり」して、数回のテイクの中から選んだものもある。"blue"のcureや、"green"のwoman grows in meは、そういうテイク。

こんなことを書いてみようと思った理由は、THE FIRST TAKEというYoutubeのチャンネルが、一発録りの録音+動画をアップロードし始めたのに気づき、そこに感情の揺れや記録としての人を惹きつける何かを見たから。THE FIRST TAKEには、その初々しさや、緊張や、その人のその時が伝わってくる気がした。

私たちは、誰かの感情がそこにあり、その感情の波が自分に届くとき、共鳴する。鍛錬してパーフェクトな演奏の上に感情を乗せようとするのがクラシック音楽ならば、パーフェクトかどうかよりも、本物の自分や、その時の感情・フィーリングが乗っていることを求めるのがロックなんじゃないか。その本物は次々に溢れ出してくるから、演奏が完璧に辿り着く前に「次に行く」。そして、みんな違う。多分、突き詰めたらクラシックも同じ。

何でもありの時代に入って久しい。ポップの話はしなかったけれど、クラシックもポップもロックも、全てはそれぞれが選んだ可能性の追求。あなたが選んだ可能性は、あなたのものでもあるし、私のものでもある。私たちは、それぞれ、どんな自分を求め、表に出したいんだろう。あなたの本当に求めるものは、何ですか。ステージへ。そして歌おう。

What is it, you really want?  Let's get on the stage and sing aloud.



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