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動的瞑想

生活の中にはさまざまな動的瞑想が転がっている。
私の夏の動的瞑想は、草取り。アロマ、ワークアウトまでついてくる。いろんな種類の草たちにノコギリガマで手をかけると、それぞれの香りが立ち上る(その瞬間、残すつもりだった草木に手をかけてしまったことに香りで気づくこともある)。そして、午前中やるだけで、汗だくになれる。

この時に、草を敵とは思わないことは大事な気がしている。抹消しようとしないこと。好ましい草や、育てたい草木に緩やかにシフトしたらいいなーと思いながら、強い草の勢いを緩めるつもりで向かう。今年の関わりが、来年に影響を及ぼすかもな、くらいの心持ち。

草が全く生えていない状態で、日照りが続くと、育てようとしている草木も散水がなければ枯れるのに対して、草と共にある場合、彼らが地中から水分を引っ張り上げ、朝には朝露を葉に溜めるほどになり、また、影を作って地面の乾燥を防ぐ。

そんなことに、日照り続きの、十数年前のある夏に気付いてから、厄介だなーと思っていた草たちへの眼差しが変わったのだから、現金なもの。

勢いを弱めたいものに関しては、出来るだけ種をつける前に向き合う。多年草に関しては、鎌を地中に入れて、根の勢いを弱める、くらいのことを続けてみている。

全て、ほかのことに対するメタファーにもなってないですか。

最近、いろんな出来事や、まとめが別のことのメタファーになってるように感じて、そこから、何を見るか、ってことが自分の中で流行っています。全ては自分次第。そして、そこからどう関わるのか。ある事象でうまく行かないなーと思っていることも、別のうまくいってることのメタファーから振り返ると、あ、そこか。と気づくこともあったりして。

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