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自分に起きてる奇跡

思いもしなかった。
外国に住むなんて。


20歳までの私はBe動詞もわからなかった。
『Here』と『There』も言えなかった。
外国人を目の前にすると、相手が日本語を話してくれていたとて、私は硬直して返答出来なかった。


地元の友達とつるんで、
専門学校の友達とつるんで、
バイト仲間とつるんで、
先の見えないアルバイトをしながら
目の前の娯楽の為にお金を稼ぐ若者だった。


そんな私が親の転勤について海外に行くなんて
誰も想像しなかったと思う。
なんたってシンガポールをヨーロッパの
何処かの国かな?くらいに思ってた程の無知😂


どうしてそんな私が海外に行って、
住むようになって、仕事までして、
何なら台湾住むという機会にも恵まれて
シンガポール在住中には勉中華系の彼が居たにも関わらず、強しようにも話せる気配が
ミジンも感じられなかった中国語すら
何とか取得して、台湾現地の不動産仲介会社で
勤務出来る程まで上達出来た。
このまま英語は忘れてしまうんじゃないか...
と思っていた矢先に、またも夢にも見なかったハワイ移住の機会を頂いた。


どうしたら、Be動詞も知らない、外人恐怖症の無知だった私が、こんなにグローバルな人生を送れてるんだろう...。


大人になってから、素敵な本にいっぱい出会った。
『7つの習慣』
『ザ・シークレット』
『金持ち父さん貧乏父さん』
『嫌われる勇気』
『ビリギャル』
数え出したらキリが無い(って言える程読んだのか?っていう数ですが😅)。


もっと若い時に出会っていたかった!!
って言う本もあるけど、きっと会うべくして、
あのタイミングで出会えたんだろうな。


多くの素敵な人にも出会えた。
特に人との出会いを感じ始めたのは
8年ちょっと付き合ったシンガポール人の
彼と別れた後だった。
すれ違いが増えて、不満が爆発した私が
ネガティブな気持ちでは決断を出したく無い...と悩み続けてた日々に、友人からの一言で
あ、終わろう。
と、アッサリ決断できた。


決断出来て、別れて、気付いた。
私は彼が大好きだった事。
以前の様に大切にされてない事が辛かったんだと言う事。
別れたり付き合ったり...を繰り返すカップルを
何処かで忌み嫌ってた私は、ヨリを戻すなんて
絶対考えたく無かったけど、
片想いになった私は、そんなのどうでも良かった。
もう一度彼に愛されたかったし、離れたく無かった。
何度も頭を冷やしては、確固たる想いを
認識した....と言うよりは想いを確固たる物にしていったのかもしれない。
心の拠り所を失って、初めて失ったモノの大きさに気付いたような気がした。


きっと相手もまだ私を想ってくれてる...
そう信じて想いを文章で綴ってポストに入れた。郵便ポストが見える位置で隠れて彼の帰りを待ったけど、彼は現れなかった。
これも必然だったんだろうなぁ。
諦めてメッセージで手紙を投函した旨を伝えた。手紙を読み終えたであろう彼からの返事は
『幸せになって下さい』
だった。
...あれ?そっち??
という感想が大きかった。
もう気持ちは無い??だけど8年付き合ったし、別れを切り出したのは私で、
彼は多少なりとも未練があるんじゃないの!?


気持ちの整理が付けられない私は友人から
彼が結婚した事を聞いた。
鉛のような物で、脳を殴られたように
目の前がグラグラした。
本当に目の前がグラグラする事ってあるんだ...って28歳で知った。

取り返しのつかない事をしてしまったと、
後悔の日々を送っている時に出会ったのが
『7つの習慣』だった。
もう少し早く出会っていれば!!!
私は彼を責める前に自分の考え方を
改められたかもしれないのにっっ。
と、悔やむ一方で、物の見方を教えてくれた『7つの習慣』は、私を前にも向かせてくれた。

それからも色々な事があって
台湾に住んだり、今こうしてハワイに住んだりしてるんだけど、何か一つでもズレてたら
今の私は無かったわけで。


そう思うと、別れ、出会い、タイミング、
全てが奇跡の巡り合わせなんです。
今は28歳の私に『勇気を振り絞って別れて正解👍』と言ってあげられる。

私は42年間、本当に数々の奇跡を起こしてきた。
だけど、未だに分からない。
20歳の頃の私はこん現実を夢に見る知識も無かった。
私はどうやってこの奇跡を呼んだんだろう...?


皆さんも夢にも見なかった夢、叶えてませんか??
どうやって叶えたと思いますか??

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