見出し画像

いいチームを目指す落とし穴

振り返ってみると、僕は知らずしらずのうちに「いいチーム」を目指していたのかもしれない。

ここで言う「いいチーム」とは、世の中で優れた成果を収めているチームが持つ要素を寄せ集めたチームのことだ。別の言葉で言い換えるなら「一見すると良さそうなチーム」だろうか。

僕が目指しているチームは良いプロダクトを作り続けられるチームであって、世の中の優れたチームの要素を寄せ集めたチームではない。かつて自律的なチームになるために失敗と学びの機会創出について考えたり相互理解を紐解いたりしたが、それらだって目指すチームに自律という要素が必要だと思ったからだ。

決して、自律的であればいいチームだと思ったからではない。ないのだが、時々不安になる。

* * *

理想とのギャップを言語化できなくなったり、ギャップを埋める方法を思いつかなくなったりしたとき、本を読んだり同僚と話し合ったりして先人の知恵を借りることがある。

それらはあくまでキッカケやヒントに過ぎなくて、そこから自分たちに最適な解を探そうとする。そこまではいいのだが、解を探すことに夢中になっているうちに、その目的が「いいチームになること」にすり替わる瞬間があるのが問題なのだ。

簡単で身近な例は、心理的安全性を追求することだ。
当初は良いプロダクトを作り続けるために心理的安全性が必要だと考えていたはずなのに、それに関する知見を見聞きするにつれて「どうやったら心理的安全性を得られるか」ばかり考えるようになり、いつしか盲目的に追い求めるようになる。なぜそれが必要かを忘れ、「心理的安全性があるチームはいいチームだから」追い求めるようになる。

だが忘れてはならない。心理的安全性があったって良いプロダクトを作り続けられるとは限らない。

* * *

僕は長いこと見落としていたが、あらゆる場面で目にするチームづくりのコツやポイントの多くは、必要条件ではなく十分条件だ。「良いマネージャーの条件」や「マネジメントですべきこと」なども同様だろう。

どんなに失敗から学ぶことが上手くても、どんなに相互理解が深くても、どんなに心理的安全性があっても、どんなにアジャイルに開発できていても、それらは目的にはなり得ない。あふれる十分条件に振り回され、本来の目的を見失ってはいけない。

今日はそれを、またいずれ目的を見失うであろう自分自身に伝えにきた。未来の自分よ、見ているか。

ここまで読んでくれてどうもありがとう。 記事を読んでくれて、応援してくれるあなたのおかげで、これからも書き続けることができます😌