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未来のつくり方

明日は、息子のお誕生日。とはいっても、もう立派な社会人。                      24歳、おめでとう。                         

可愛くて、愛おしくて、彼のしたい様にさせてあげるのが一番!と、「ダメ!!」を言い通せなかったワタシ。でも、それは正解のない子育てをする上での、ワタシの逃げ道だったのかもしれない。

大好きなサッカーを続ける途中、何度も腰椎骨折を経験した彼。       病気や怪我は身体を労わるサイン、とわかっているのに、問題の真っ只中にいる時には色んな事が見えていなかった。              「ダメ!!」と言い切れない、あの弱さは、本当に無責任でしかないと、今なら本当にそう思える。                           

高校生のある時、「痛くてもう無理」「車椅子に座っている」と、何を話しているのか訳が分からない電話での会話。車を飛ばして学校に迎えに行った時、車椅子を押して頂いて校門から出てきた情景が今も鮮明で、動揺する自分と「このままの状態を続けると車椅子の生活になる」という冷静というか冷ややかに状況を把握している母じゃない様な自分がいたことも忘れはしない。   

あの頃にしか出来なかった特別な経験も色々あって、いっぱい考えて苦しんだりして盛り沢山な感情を味わったりしたから、あれからまだたったの6年しか経っていないと感じるところにSTORYの重みを感じたりしている。                

沢山の方に助けて頂き、その中でも響いた言葉は「せっかくカラダを痛めたのなら、ただで起き上がるな」と、自分の身に起こった全てを人生の肥やしにすればいいと教えて頂いたこと。

その言葉があったから、ではないけれど、何度も怪我を経験した彼は、いつの頃からか「自分の様にケガで辛い思いをさせたくない」「ケガをしない様にサポートしてあげたい」と未来をちゃんと描いていた。         そして、ちゃんとそういう未来に辿り着いて、子供たちの身体作りや学生さんや患者さんのケアをする職業についている。

あの頃失敗したのは、怪我をした息子じゃなくて、腹を括れず守り切れなかったワタシの方・・。

子育ては自分育てという様に、どうして良いかわからないなりに、立ち止まる勇気をもって子供と一緒に次の出方を選択していく、その連続なんだと、今のワタシならわかるけれど、あの頃のワタシにはそれが出来なかった。

でも、嬉しいことに、ワタシの中にある彼の記憶が苦しく辛い表情から、どんどん笑顔に塗り替えられていく。元気でいてくれたらいい、と願う気持ちは昔も今も何一つかわらないけれど、多分その重みは全然違う気がする。    

来週、ある選手のフィジカルトレーナーとして帯同、渡米する息子。渦中にいるとやっぱりその事態の凄さがわからないけれど、少なくとも6年前にはこんな未来がやってくるとは考えもしなかった。             

「成功の反対は失敗ではない」「やらないこと」            言い切れなかったあの頃の失敗母さんが居たから、立派に育ってくれたのかなと、美味しいモノいっぱい作って、笑って、明日は心の中で自分を許そうと思う。



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