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神経症と日記 Apr. 28-29, 2023

28日。

7時45分には起きなければ、顔を洗い髪を整え家を出て電車に揺られて降りた後にコンビニでペットボトルのお茶かコーヒーを買って出社するには間に合わない。そんなに大変な時間じゃない。大げさなこと。

と、多くの人は思うだろうし、僕も少し前までは大勢の内の一人だった。でも不思議なことに、今は日が昇る5時半かそこらで一度目が覚めるのに、7時45分に起きるのはとてつもなく辛い。憂鬱と言ったら重たくて身体にどっしり来ちゃうので、漢字を一つ省いて鬱です。

重たい身体も時間になれば機械のように今日一日を取り繕うために準備します。まだ起きていない頭で。星新一のショートショートで、一日の人のお世話をすべて機械がやってくれる世界で、いつも通り準備を終えて外に出てきた人が知り合いに会うと、知り合いが主人公と思われていたまさにその人は死んでいたことに気付く(にもかかわらず、機械によって何の変哲もないように動かされていた)という話があった気がする。

仕事の愚痴を一つ。今週中にタスクを一通り終わらせてくれと言われて先週押し付けられたものを全て片付けた頃には、その時渡されたタスクと同量の新しいタスクが振られていた。そうして「今週中に…」と機械的な声が聞こえてきた。

そこで終わればただの悲劇だ。でもデッドラインに乗りかけてデッドエンドかと思って恐る恐る、今日までに終わらせなければいけないものはどこまでですかと尋ねると、今日までに終わらせないといけないものなんてないよと。ホラー。

学生の皆さんには、社会人がいかに存在しない「絶対にやらなければいけないこと」に追われ、時間を浪費しているかを笑いながら想像して頂きたいものです。

夜。ハンバートハンバートを聴く。横顔しか知らない、がんばれ兄ちゃん、おなじ話。ハンバートハンバートの曲は、神経症の歌だ。物語はいくらでも俯瞰した視点から描くことができるし、反対に登場人物の主観から意図的に狭く進めることもできる。ハンバートハンバートの曲の歌詞は、そのどちらでもない場合が多いように思う。

日常に入り込む偏狭なこだわり。それは誰でも持っているけれども、本当に個人的なことだ。大衆の倫理では恐らく打ち負かされてしまうような弱い執着。それを一歩引いた場所から眺めている自分もいる。そんなこだわりからは離れてしまえばいいと薄々気付いている。でも難しいのだ。

難しい代わりに、無理に逃れようともしない。ただ、自分自身を眺める。


29日。

少し頭痛は治まっている気がする。朝から歯医者に行く。

脳と心の関係についてまとめている講談社ブルーバックスの本を二冊買った。14時。これから読む。昨日の夜は頭の中がうるさくてなかなか寝付けなかったのだけど、それはきっと脳のせいだろう。

最近ではうつ病の治療として、脳に電波だか何だかを送って働きすぎている個所を静めるというのがあるようだ。これは保険適用外なのでめちゃくちゃ費用がかかる。普通に貧乏な暮らしをしている学生や社会人にはちょっと苦しい金額だ。

とりあえず、そういうこと。今日はここまで。

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