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自己紹介するのにゲームが多すぎる(6)

 そうですね、情報システム部門ってのは、基本的に地獄です。

 「あの、パスワードが入らないんですけど」

 呼ばれて行ってみると、書類の山の端っこがCtrlキーを押している。

 あちこち模様替えや席替えをする。LANを今すぐ引けといわれる。フリーアクセスのフロアを開け、一生懸命配線していると、そこに落ちる奴がいる。

 あの時のそこにいたすべての人間の、極悪人を見るような目。落っこちたヒヨコみたいな女を慰める人たち。

 まぁ、いいや、ここはゲームとは関係ないない。そう、ゲーム制作は別にやろうと思えばどこででも、どんな環境でもできる。プレイステーションのプログラムなら、黒いプレイステーションを買えばできる。デモを実機で動かしたいなら、怪しいチップをくっつけて、ISOファイルの先頭のどっかをバイナリエディタで書き換えてから焼けばば起動する。

 志を同じくした大学時代の動機とゲームを2本作り上げ、「異動させて貰えなければ辞める」と宣言して面接してもらいゲーム制作部門へと異動した。

 それからはPS1、PS2、PS3発売直前までゲームプログラムに明け暮れた。世の出たのは2本くらいだったけど、全身全霊を込めてうちこんだ。

 そして、よくある話だが、ここから人生に疑問がわく。

 なんでプログラマーは、プランナーの奴隷なのか?

 そもそもゲーム制作部門は全員契約社員で、気まぐれに首を切られるが、そんなことで落ち着いてゲーム制作などできるのか?

 など。

 そして、コンシューマーでのプログラマーの存在自体にも疑問が出てくる。

 PSIIまでは、全く持ってそのアーキテクチャとは奇妙奇天烈な独自のもので、そこに絵を描くというのは、そのフロンティアに繰り出し、誰も通ったことのない道を駆け、誰も到達できない頂点を目指す、そんな感覚だった。

 PSII の EE + GSというアーキテクチャ、特にCPUとは別に動ける、2命令同時実行ができるVU1にマイクロプログラムをパズルのように詰め込み頂点演算を行い、GSの圧倒的な内部バスの太さで力業でアフターエフェクトをかける、そういった職人芸を発揮できるワンダーランドだった。

 だが。

 PS3のアーキテクチャからは、そういったフロンティアは消え去る。途中までは東芝とIBMによる独自アーキテクチャのグラフィックチップで進んでいたが、急にnVidiaのカスタムチップが載ることになる。

 つまり、PCで普通に培われる、普通のテクニックで事足りる時代となる。

 知っていた。MZ-80K2だろうが、PC-8801mkIISRだろうが。X68000だろうが、ファミコンだろうが、スーファミだろうが、プレイステーションだろうが。

 そこで培われるローカルな超絶テクニックは、所詮「戦術」に過ぎない。5、6年でそれはあっさり陳腐化し、ただの化石となる。

 「アルゴリズム」+「データ構造」といった「戦略」部分はいくらでも応用が利くが、そのローカルな超絶テクニックは所詮「車輪の再発明」に過ぎない。

 XBOXの登場から予見されたそれは、もう、コンシューマーというのは皮だけで、中身は intel or AMD に nVidia or ATI というただのPCとなった。

 それはプログラマーに「本来の仕事」ができるようになる福音で、培うテクニックが前にも後ろにもつながるいいことなのだが。

 たたき上げの徹夜プログラマーではなく、CGの研究室にいたイギリス出身の東大生が、クールにプログラムする時代となったのだ。

 そう、もう、俺の時代は終わった。そもそも、ゲーム制作ができるのなんて、実際は一握りの「ディレクター」たちだけだ。アニメでも、映画でも、多人数の作品作りで「自分の作品」が作れるやつなど、声が大きく立ち回りの上手いノータリンの陽キャの頂点の数人だけだ。

 そもそも、ゲーム制作とゲーム制作の狭間の時期だというだけで契約の更新されない制作部にいても、制作活動に没入することなど土台無理なのだ。

 そして、フェイズII。人生の目的はゲーム制作からいったん離れ、ディレクター的立場で動くこと、カネの心配をせずに不労所得のみで生きれるようにすること、へと移る。

 あれ?#自己紹介をゲームで語る、ってこういう意味?意味違くない(笑)

#自己紹介をゲームで語る



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