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第十五回「陽炎が立ったあとに」

2021年7月31日 23:55
この日、俺たちの新しい曲が世の中に公開された。
世の中と言ってもほんの小さい世界の話なのかもしれないが
確かに俺たちは世の中に放り投げたのだ。

曲名を「陽炎が立つ」という。
その馬鹿みたいに暑い夏の日々をこうして数分にまで圧縮し送らせてもらった。

決してこのウイルスに塗れてしまった世の中を忘れないように。
この曲が発表された年はコロナウイルスの年だったと
全ての人が忘れないように。

そして、そんな危機感すらなくみんなが自由に遊びまわったあの素晴らしい日々を思い出すように。
そんなことを思って作ったんだと思う。当時の俺は。

メンバーはドラムに大塚。
ベースに和明。
ここまではいつも協力してくれている面子なのだけれど
今回はそこにギターとして8746が加入した。

初めて彼を観たのはいつだっただろうか。
確か友達のバンドkabe.の企画で俺たちが出演した時だった。
彼はその日初ライブだと俺に言っていた。
ロン毛で髭を生やしタバコを吸って笑っていた。

彼は本番直前まで静かに緊張していた。
彼のバンドのメンバーが声に出して「緊張する」と言っていたから
ドンと構えて「大丈夫だ」と彼は言っていたのだけれど
本当に小さな声でボソっと「俺が一番緊張してるんだよ・・・。」と
言っていたのを今も覚えている。

あいつはそんな男だった。

ライブが始まり彼はギターをかき鳴らしてその音は
「死にたくない」と言っているようだった。
フロアにいた俺にはそう聞こえた。

死にたくない。まだ生きたい。理解されなくていいが
ここに勝手に俺の存在証明を残させてもらう。

そんな感じの声に聞こえた。

あまりの出来事に俺は目を丸くし気がつくと握り拳を作っていた。
その拳をあげる事なく、ただ静かに力を入れ続けた。

「今日は聞いてくれてありがとうございました」
と深く頭を下げて最後の曲をやり終えた彼は満身創痍になっていて
あんなにも生きることと死ぬことを体現したバンドは居ないなと思っていた。

それから何ヶ月も経って
彼がバンドを脱退する話を聞いた。
彼に連絡をし話を聞いて、俺はその電話で次の曲のギターを絶対弾いてとお願いした。
バンドをやめたばかりの彼に。だ。

辞めた理由ももちろん理解したし、彼には彼の人生に対しての覚悟があったのも承知してなお俺は彼に弾いて欲しい。てか弾け。と言った。

本当にわがままで強引で空気の読めないオファーだったと思う。
けれど、俺はそうするしかなかったのだ。

彼の悲しみや怒りや生きることや死ぬことや愛なんかをアウトプットするにはやはり彼の声を代弁するギターが必要な気がしたからだ。
余計なお世話なのもわかっていたし、それがなんなのだとも思う。

俺にはどうしても”今”の彼のギターが必要だった。
彼を困らせたかったのだ。

血が出ようが、嘔吐しようが瀕死になろうが
俺は彼にギターを弾かせたかった。
それが出来るのは彼しかいないと思ったからだ。

感情論の話かもしれないが
感情論でギターを弾いて何が悪いんだ。
俺はそう思う。

彼のギターは声だ。叫びだ。
それは感情が乗らないと出せないものじゃないか。
だから、俺は何度も何度もその電話の中で「いいから弾いて」と言い続けた。

とうとう彼は押されて今回の曲に加担することになったのだけれど
レコーディング当日。彼は奇跡を起こすことになるのです。

それはギターRECに起こったことで
ギターソロを録音する際に彼は「どうしようかなぁ」と悩んでいるみたいだったので俺は「今日のソロでいいよ」と言った。
すると彼は自分でも声を荒げながら渾身のソロを弾いて、それを聞いていた大塚も和明も俺も圧倒されて歓声をあげた。

汗だくになってソロを弾きあげた彼を称え
そして何より本当に今日のソロを弾いた彼はやはり感情論のギタリストなんだと確信した。生きているのだ。彼もギターも。

そんな”気持ち”を込めすぎた楽曲が今回の「陽炎が立つ」という曲です。
勿論、和明は納期ギリギリまでマスタリングをしてくれて
深夜までずっとこの曲と向き合ってくれた。
彼の功績は本当にたった一行や二行なんかじゃ書けないくらいのもので
一番この曲と戦ったのは彼なんじゃないかとも思う。
8746や大塚もそうなのは本当にわかっているけど。

夏がきた。
とうとうコロナが蔓延る二度目の夏がきた。
マスクは外すわけにはいかず暑い中生きる俺たちの夏が来たのだ。

そんな中でリリースした今回の楽曲。
皆様お気に召してくれたでしょうか。

アルマが死んだはこれからも”あなた”と歩いて行きたい。
そんなことばかりを思いながら今日もこうしてこのコラムを書くのです。

まずは8月22日
名古屋にてライブを。32歳になりたての俺の初ライブをぜひ観に来て欲しい。
言葉は青くて苦くて脆いけど、その言葉に何度も救われたことがあるから
言葉を使って歌を歌うのです。いつだって。どこだって。

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