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在宅が変えた1人の人生

“人生”を変えたと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、今日は兄の話をします。


兄はパニック障害です。


私から見た兄は、
頭が良く明るく穏やかで真面目、誰よりもピュアで優しい性格です。


兄は、大学卒業時〜新入社員の時期にパニック発作を起こし、現在もずっと実家で生活をしています。


兄は兄弟の中でも頭が良く、理系の有名大学に通っていました。
大学院にも通っていて、某大手メーカー(カメラ等で有名)に内定も決まっていました。


しかし、卒業するにあたりゼミの課題が大変すぎたようで、卒業が危うかったと言い私たち家族はそれがパニック障害になった原因だったのではないかと話しています。(教授からのいやがらせもあったと言いますが本人の見解なので事実関係は不明です...)




無事、大学院は卒業は出来たものの
パニック発作で電車に乗れなくなり、
新入社員が行く予定だった海外での研修も断念し、内定をいただいていた会社へも殆ど出社出来なくなり
結局辞めてしまいました。



優しい兄でしたが当時は病気をなかなか理解してくれない(理解できない)家族にもストレスで当たり散らしていました。

私もパニック障害について知識がなく、あんなに努力家で真面目な兄なのに怠けているのではと感じてしまっていました。
(今でもたまに怠けてるのではと思ってしまう時も...精神病とは難しいものです)



兄は、社会人になってから一人暮らしをしていた家からも出て実家に戻り住み、
塾の講師やアルバイト等をしては辞めてを繰り返していました。
サイゼとかでも働いてましたよ🍕🇮🇹



そんな中、ある時兄は一人の女性に恋をしました。
その女性とデートをしたりと“普通の生活”を楽しんでいました。(相談に乗ってましたw❤️)
しかし、長くは続かず、彼女は仙台に行くことになり、兄はついて行きましたがフラれてしまいました。


ついていくところが超ピュアだなぁと思いました。笑(でも下手したらストーカー?🙄😅🤔)




空気が綺麗だったからでしょうか。
仙台での生活は兄にあっていた様で、暫く仙台で暮らしていました。
仕事はアプリ会社で、正社員として働いていました。
その頃私たち家族も本当に嬉しかったです..✨




しかし、やはり長くは続きませんでした。
発作が出ては母が仙台に通うようになり、結局実家に戻ってきました。




それからまた元の生活...
アルバイトを辞めては探し..の日々。
正社員の仕事は探してもいないようでした。


そして、あっという間に37歳。
パニック障害になってから、13年位?


コロナ禍、良くも悪くも在宅が世に広まり...


兄にとってはラッキーなことに
完全在宅の仕事に正社員として就くことが出来ました。👏✨✨✨


私たち家族は仕事自体探していたなんて知らず...そこも嬉しかったです🥲✨
もちろん在宅といえど、今回もちゃんと続くかは兄と病気次第ではありますが...。

仙台に彼女追っかけて良かったネ!兄貴!!!笑



そして、私にはもう一人兄がいるのですが(笑)
もう一人の方の兄は、コロナ禍の影響で年収が300万円減ったと聞きました..
もちろん年収300万円減ってしまった兄のように、コロナの影響で大変な状況にある人の方が多いかと思いますが、在宅の環境が広まったおかげで今回の兄のように良い方向に生活が変わった人もいます。


コロナ禍...本当に嫌なことばかりですが、
全ての人にとって働きやすい社会づくりが見直されて、より多くの人が働きやすい環境にもっともっとなっていきますように。


お読み頂き、ありがとうございました😊🙇‍♀️


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