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格言とか名言とかって...
格言
人生の真実や機微を述べ、万人への戒め・教訓となるような簡潔にした言葉。金言。
名言
事柄の本質をうまくとらえた言葉。
辞書的な定義付けは上記のようになっている。
僕らが言葉や文章を深いものとして受け取る時にはどんな感覚があるんだろう?
崇拝する、功績を残した偉人が言うこと?圧倒的事実?
でも、やっぱり共感なんだろうね。
物事の体験や経験には段階があるから。
アントニオ猪木...
"元気があれば何でもできる"
これはある意味健康を損ねた時に、自分の送ってきた当たり前の生活が急に価値のあった尊いものに変わる。逆に、健康である現在の人にはさほど響かないものかもしれない。
格言や名言はその点においてはこの共感という感覚がなければ、ただの事実・事象や独り言の域にとどまるのかもしれない。
ガガーリン...
"地球は青かった"
(言ったという資料は正確でないけれど...)僕らは、これらを名言として知っている。これはただの事実だから、名言として不適な気がする。けれど、名言たらしめる理由としては、やはり宇宙から地球を見たという行動に裏付けされるからだろう。
個人的に初めての人や距離を縮める時によく聞くのが、「人生のターニングポイントや好きな格言や名言」、経験に裏打ちされた言葉は純粋無垢で飾りがない真っ直ぐで面白い。その人がその出来事の渦中の登場人物で、発したり、思う言葉はもれなく、このガガーリン理論で名言に値すると思っている。この人から聞いた話よりも身を持って経験したことが面白いのはここに理由があると思っている。
僕は人と関わるということは、その人の人生を疑似体験できるという面白さがあると思っている。
だって、一つ経験して、また一つ...と等差級数的な増幅で、自分の人生を生きるだけでは物差しや経験は定量を超えないからね、それに対して、人と話したり、働くことで等比級数的に経験値が増えていく。
自分の話をすると、小説『華麗なる一族』ー山崎豊子 の冒頭...
「陽が傾き、潮が満ちはじめると、志摩半島の英虞湾に華麗な黄昏(たそがれ)が訪れる。」
僕はこの一節を文章という平面で捉えていた。
大学の卒業旅で一人でこの小説の舞台の志摩観光ホテルに行ってきた。(平成が最後の年であったこともあって伊勢神宮に詣でることを目的に)
そして、夕暮れ時に、この小説の一節の意味を身を持って体験した。数多の夕暮れを見た中でもその光景は鮮烈に覚えている。
この言葉は僕にとって経験に裏打ちされた言葉=名言に値するものだ。
僕はこの文章の序盤に名言=共感という側面から、
この後半には名言=経験という側面から捉えている。
実際、経験=共感でもあると思うけれど、少し内容は異なる。
そして、名言の側面から感じる最近の価値観や面白さは、どちらかというと前者の共感に寄るものが多い気がする。
あの映画、あの曲、あのドラマ、あの漫画、あの人、etc...
まず面白さを測る基準に共感の尺度が選ばれているならば、ちょっとツマラナイな。だって、似た人が集まってきて、似たような賛辞が送られる。
"なんかわからないけど、面白いじゃん!"ってまだ言語化できていないことに価値だったりがあってもいいじゃん!僕はそう思う。
多様性を共感という角度から捉え続ける限り、何かを知らず知らずのうちに排他してしまうし、共感にも限度がある。
共生して、面白く生きて行くには"経験"という尺度も併用していかなくてはいけないね。と思う。僕もだからもっと人と関わって、自分の目でも色々な景色を見たい。
スナフキン...
"人の好みは千差万別だと思います。もし全部の人間が同じものを食べ、同じものに感動し、同じ本だけしか読まなくなったとしたら、僕はそんな世界は味気ないつまらないもんだと思います。"
"人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね。"
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