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【P-MODEL】Future Screen of Tokyo New Wave(1999.06.29-30.TUE-WED 渋谷ON AIR EAST)

※2DAYSを一緒くたに書きます
※共演の方々のお話はありませんごめんなさい(ページ最後辺りに6/30全バンドのセットリストがあります)

【概要】

SPACE SHOWER TV ミラクル10 presents
“Future Screen of Tokyo New Wave”
supported by PIA Music Foundation RECOMMEND

1999年6月29日(火) 渋谷ON AIR EAST(現:O-EAST)
1999年6月30日(水) 渋谷ON AIR EAST
(FC先行無し一般のみ、平日16時にチケット発売)

「やはり次はニューウェーブだった。80年代ニューウェーブ・サウンドをリスペクトするコアなバンドたちに今猛烈に注目が集まっている。人呼んで「ネオ・ネオ・ニューウェーブ」。その代表格が一堂に会するのが「フューチャー・スクリーン・オブ・トーキョー・ニューウェーブ」。シーンの中心的存在であるPOLYSICS、SPOOZYS。そしてなんとあの大御所P-MODELも見参。ニューウェーブファンのみならず、すべてのミュージックフリークにもチェックしてほしいイベントだ。」

■共演(およびクレジット)
▼6/29
SKYFISHER、SPOOZYS、POLYSICS、
中野泰博(DJ)Studio Heaven(VJ)、加藤賢祟(司会/コーディネート)
▼6/30
山田冷蔵庫王、POLYSICS、SPOOZYS、
小暮秀夫(DJ)、Studio Heaven(VJ)、加藤賢祟(司会/コーディネート)、サエキけんぞう(司会/SPECIAL THANKS)
■公式レポート
・音楽産業廃棄物 P-MODEL SIDE(P109)※写真数枚と軽い言及のみ
■放送
スペースシャワーTV「Future Screen of Tokyo New Wave特集」
■告知(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1999fst.jpg
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1999fst_al.jpg
※CDは告知のみ、実際には発売されず

【セットリスト】

1. 美術館で会った人だろ
2. サンシャイン・シティー
3. SPEED TUBE
4. ASHURA CLOCK
5. Rocket Shoot II
6. ENOLA
---
7. ヘルス・エンジェル

※両日同じセットリスト

【開演前】

東京で一番最初に生まれたニューウェーブと、(当時)一番最近生まれたニューウェーブが集結したイベント。ネオニューウェーブと括られるジャンルは97年ぐらいからブームを見せ始め、98年に新宿JAMで行われた「東京NEW WAVE OF NEW WAVE'98」のイベントは、ニューウェーブのインディーズシーンの伝説となりました。(完全にJAMのキャパを超えてて、人の熱気で壁が結露したそうな…)

それの資本が強いバージョンみたいな印象を受けますかね。P-MODELだけが両日とも唯一女性メンバーの居ないバンドでしたが、平沢さんが「疑胸弟(ぎきょうだい=オカマ)になりたい」とか言ってた頃だったと思うので、性別の話はここまでだ。

余談ですけど、フライヤーでも「必見」だと言及されてた、共演バンドの「ライブ中に食パンを投げる人」が、このイベント直前に脱退してて、しょんぼりした記憶。(そのあと別のバンドで何度も観た🍞🐕)

【開演】

「音楽産業廃棄物」の記者会見後、そしてツアー前となるライブ。タイナコはニューバージョン開発中の為、不在。P-MODELは両日とも大トリ。衣装は、

■福間さん
・黒のジップアップのジャケット(首元はボタン留め)
・左胸に「音楽産業廃棄物」のでかいロゴバッチ
平沢さん
・黒のハイネックといつものシュッとしたパンツ
・胸の真ん中に「音楽産業廃棄物」のでかいロゴバッチ
小西さん
・黒のミリタリージャケット風と首にゴーグル
・右胸に「音楽産業廃棄物」のでかいロゴバッチ

こういう細かいシンメトリが多かったですね、そういえば。

機材は、当時のP-MODELには珍しく、両Systemのメインシンセが初代ノードリード。抜けの強いハッキリとした音が出るアナログモデリングシンセなので、80年代P-MODELを扱うのにちょうど良かったのでしょうか。

平沢さんはいつも通りRoland JP-8000とPHOTONでしたが、なぜか平沢さんの背後に、福間さんと小西さんのJP-8000が2台、ロゴが見えるように(鍵盤が平沢さんの方を向いていない状態で)積んであり、当時は「音源取りの為…?」などと思ってましたが、これは単にスポンサード的な事だったのかもしれませんね。w

『美術館で会った人だろ』
3人になってからは初の美術館。この曲の小西さんベースは1996年野音「Branch O」でも聴いていますが、いやほんとベース上手いんすね…。ヘッドレスベース(黒のスタインバーガー)がまたよく似合うこと。シンセの前に出てきて弾いてくれました。てか和尚…額に何か…額に何かシール貼ってますね…?(のちに音廃ツアーでも色々貼ってた)

平沢さんはデビュー当時のようにグネグネ動いたりはしませんでしたが、軽く足を上げるように空を蹴ったり、「火をつけるよ」で後ろへガクッと下がったり、「割ってやる!」でギターのヘッドを自分の体の方へ引き寄せたりアクション多め。歌の方は低音部分がちょっとキツそうでしたが。

間奏の速弾きは福間さんソロ。これを当てぶりなしでガチで速弾き出来るのは、初代メンバーの田中靖美さんか、SKYFISHERの今村さん(本家と違って遊びもミスタッチも無いパーフェクトお姉さん)ぐらいだと正直思ってます。誰ですか作曲したのは。

ちなみに両日ともスペースシャワー収録のビデオカメラを向けられてることに気付くと、カメラから目線を外さない福間さんでありました。いつの世も、推しは期待を裏切らないものです。

『サンシャイン・シティー』
3人で三社員キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!!!
80年代以降、ライブではずっとやっていなかった曲なのでは…?近年のP-MODELがあんまりピンと来てない(けど対バンを観に来た)ような方々も含めて、この選曲には客席もビックリ&大盛り上がりで、ちょっとしたモッシュ。コーラスは大合唱。

両Systemのコーラスは原曲よりもだいぶ低かったですが(お2人とも声低いので)、平沢さんは巻き舌絶好調。ぅるるれれみんぐが生んだあー!
間奏に行く前の「あぁぁああー⤴」もちゃんとやってくれて感激。ちょっと年齢を感じましたがw

年齢を重ねてソロも経て艶の出た声で、あの時代の歌を聴くのは何とも不思議な感じでした。今思えば、このイベントの翌々月に発売される、Vitual-Liveシリーズの歌い方でしたね。

『SPEED TUBE』
間奏では、小西さんがアンプに貼り付けてあった「P-MODEL OR DIE」の宣言文の紙(縦に長い)を手にとり、サイバートラメガ(要は拡声器)で読み上げます。

▼宣言文(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1999pod_1a.jpg

読み終わった後は、宣言文の紙をビリビリに破り捨てるパフォーマンス!!

…という小西さんを、最初から最後まで見つめるだけの平沢さん!w

『ASHURA CLOCK』
80年代高速ニューウェーブが2曲続いたので、福間さんも平沢さんも既に汗だく。この曲の押忍ポーズも、サビ直前の挙動(共に非局所性LIVE参照)もお馴染みになりましたが、このイベントでは、先に出たバンドにこのアクションをオマージュされており、フフってなりました。

間奏では平沢さんのデストロイギター。
いくつになってもデストロイ。

(※若手の元気いっぱいなミュージシャンをさんざん観た後なので、感想がおかしくなっております)

【MC】

初日は「Rocket Shoot II」のイントロでVS-1680の電源が落ちてしまい、再起動の間に「仕方なく親切なMC」をしてくれて、さらに(本来のMCタイムである)「Rocket Shoot II」をやった後にもMCを。

内容は「音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE」が始まったというお話でしたが、2回とも「全く同じ台詞を棒読みして済ます」という、大変親切なMCでしたw
平沢さんそれお家で練習してきたの…?

2日目は「音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE」に伴い、プロジェクト会議で音楽業界の新用語を制定したと宣言。

「インディーズ」→「開発者」に改訂
「メジャー」→「周辺スキ間業者」に改訂

以後これを使うようにと有無を言わさず制定されました。その後の音廃ツアーでもこの言い回しは使われていきます。
そして有無を言わさず最後の曲だと宣言され、当然「えーーーー」となる訳ですが、今回はマイク越しに盛大にため息をつかれましたw

もちろん冷たくされて我々は大喜びです。

『ENOLA』
小西さんはもちろん道頓堀1号(非局所性LIVE参照)。平沢さんはティンパニ部分を、完全にJP-8000に突っ伏した状態で連打。サビは曲と歌の店舗がズレがちで、ちょっと歌いづらそうでしたが、この曲のズレはだいぶ後年になってもままあるケースなので、速い3拍子ってライブでは歌いづらいのでしょうね…。

サビ手前のコーラス部分では、こぶし振り上げ奏法を小西さんが観客に煽った為、一斉に挙がる手。2020年現在の平沢さんのライブだとあんまり珍しくない光景ですが、P-MODELの振り真似であそこまで手が挙がったケースは、当時ではちょっと珍しかったのでは…?ロックですね!(イベント名を忘れた顔)

【アンコール】

2日目ではVS-1680(マルチトラックレコーダー)の電源が落ちてしまい、場つなぎで平沢さんがさらにMCをしてくれました。大事な曲が入ってるのに、軽率に紙袋に入れて運ぶからですよ!(タイのレコーディング時にそうしていたそうです)

「がんばれー」の声援が飛んだ福間さんが「(がんばります)」という感じでピシッと姿勢を正したので、「かわいいー」の声がチラホラ。この時代、いかついおじさまと、こわくて小さいおじさまに囲まれて、とにかく可愛いポジションであります福間さん。

さて、80年代のミュージシャンは観客に叱られるのが当たり前だったという話をする平沢さんでしたが、

平沢「私はこの20年間その戒律を破ったことが無いニューウェーブ優等生です」

これをどっちの意味で言ったのか21年経っても不安なんですが、「新作は常に賛否両論」という、いつぞやのキャッチコピーと同じニュアンスでいいんですよね多分。
そういや80年代にはファンの集会に呼び出されてつるし上げ食らったこともありましたね…。そしてこのイベント後も共演者に「今のP-MODELつまんない」って暗に言われてましたね!w さすが優等生です。

『ヘルス・エンジェル』
当時ネットに上がっていたVLシリーズのサンプルは、著作権諸々の都合で歌詞が「ヘルスアンジェラ」でしたが、こちらはちゃんと「ヘルスエンジェル」で。

小西さんはこの曲もベース。2日目はメンバーも完全にノリノリでしたが、客席もかなりのモッシュ状態。そんな中、福間さんが田中さんばりのジャンピングを披露!

両日とも、最後は平沢さんが「アディオス」と言って終演でした。

ヘルス・エンジェルのこんな福間さん、もう二度と観られなさそう…(その後の音廃ツアーでもこの曲をやったのは1回のみ、ジャンプはしなかった)と思ってましたが、ジャンピングは15年後の『パラレル・コザック』で観たような…ウッ…

いやほんと誰間さんだったんだ(ひどい棒読み)
という感じで改訂レポを終わります。

追記:6/30分のアンケートと全バンドのセットリストが出てきたので貼っておきます。

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