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【レビュー】Kanye West 《JESUS IS KING》 (2019)

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Artist : Kanye West
Album : JESUS IS KING
Release : 2019.10.25 @ GOOD, Def Jam
Genre : Hip-Hop


また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。―エペソ人への手紙5章18節

本作を聴きながら思い浮かべた聖書の一節である。最近、CCC(Campus Crusade for Christ)の幹事の先生とバイブルスタディーをしていく中でよく見る御言葉だったので特に思い浮かんだと思う。よく「クリスチャンでありながら酒好きの人を苦しめるみことば」と、わりと現実的な冗談がまわる御言葉なのだが、ここで重要なのは「御霊に満たされなさい」という命令にある。人類すべての罪を贖罪した救世主(メシア)のイエス・キリストが昇天する前、イエスは助け主として聖霊が降ることを約束された。昇天後の五旬節、マルコの家に集まったペトロを含むイエスの弟子たちに聖霊が降臨し、その時から初期教会が建てられ、福音が広く伝わっていく歴史が始まることになる。クリスチャンとして「聖霊に満たされなさい」というのは命令で、そのためにはまず自分の罪のある自我を神に告白し、捧げなければならない。それは、自分の生の主導権を神に預けるということだ。

この間、全キャリアーを通じて自己愛、自我肥大、自我分裂的な面貌の代名詞的な存在だったアーティストのカニエ・ウェスト(Kanye West)がゴスペルを通じて自我を積極的に神に預けようとする姿は新鮮であった。もちろん本作でも賛美する主体はあくまで「自分」であり、自己矛盾的な視線を捨てはしないが、それはむしろ神のまえに出るための素直な告白と読めるだろう。

この純度の高いゴスペル・ヒップホップアルバムに対しての評は極端に分かれている。ツイッターで見た、韓国語のツイートは主に酷評が多く、むしろ日本語ツイートはほぼ好評の意見だったのが意外だった。メタクリティック(Metacritic)の点数を見るとおそらく西洋評論誌でも酷評が多かったようだが、ピッチフォークは秀作に値する評を発表し、それもまた論争になったのを見た。

結論的に言うと、自分は本作について擁護している側だが、確かにカニエのソロアルバムのキャリアーに映してみると、やはり相当の残念さを感じざるを得ない。個人的に彼のキャリア・ロウだと思っている前作《ye》でさえも〈Ghost Town〉という名曲があったのに対し、本作では代表曲の不在を感じる。それに、彼はイエス及びゴスペルを素材とする曲をすでに披露した状態であり、それも〈Jesus Walks〉(2004)、〈Ultralight Beam〉(2016)という、両方ともその年に発表されたヒップホップトラックの中で最高作だと謳われる大曲であった。そんな彼のキャリアーを知っていると、本作は「荒い」というには整ってなさすぎるミックス・マスターの質、《808s & Heartbreaks》や《Yeezus》にかなわないミニマリズム作法、単純すぎる作詞などとみて、下降曲線を描いているディスコグラフィーを反騰させることには失敗したと考えられる。

しかし、本作が「聴く価値のない拙作だ」という意見には疑問に思うし、そこからもっと進んで、自分は「それでもいい作品だよ」と紹介したい気持ちである。クリスチャンであり同時にヒップホップジャンルのファンとして、ヒップホップの要素がちゃんと生き生きしているところで、教会音楽としても十分機能できるようなアルバムを、それも一番好きなアーティストが出してくれた時点で、自分はこれを客観視できない状態なのかもしれない。

本作を「良い作品」とみるにはある程度の前提が必要である。まず、自分は本作を「賛美」のアルバムとして見ていて、だから本作のきわめて単純な歌詞のことは「賛美はもともと神をたたえるためだけにその目的がある」と言って擁護する方である。また、ミックスやマスターリングのようなエンジニアリングの質も音楽感想や評価において、そもそもよく聞き取れるわけでもないし、あまり大きく反映してないのもある。(しかし本作ではその音楽的完成度も害するくらいエンジニアリングに失敗した区間がある。)このような要素を考慮するにせよしないにせよ、本作が拙作と見える致命的な弱点が散在するという点で、酷評の意見ももちろん尊重する。

弱点と言うとまず、ラップアルバムにも関わらず―下手というわけではないが―ラップ的に快感を得れるところが全無である。〈Selah〉の”we nobody's slave"宣言や〈Close on Sunday〉の”Chick-Fil-A”云々などは明らかに失敗した歌詞である。〈Everything We Need〉は、ジャンルの混合でオリジナリティーを維持している中、本作で一番いいボーカルパフォーマンスを保有しているにもかかわらず、クリシェに飲み込まれたトラックメーキングとラップパフォーマンスの崩壊によって、一番つまらないトラックとなり、〈On God〉のムードを継ぐのに失敗した。一番深刻なのは、〈Use This Gospel〉で、ハイライトを飾るはずだったプッシャ・T(Pusha T)の登場場面で、その音楽の効果までも害するくらいの残念なミックスであり、その結果ケニー・ジー(Kenny G)のサックスを補完できず空虚にしてしまう、技術の領域で起きた敗着である。

これくらいになると、カニエは本作のディテールな完成度にあまり気を使ってないようである。待ちくだびれたファンの立場としては怒りがたまらんのだが、これがゴスペルであるなら、その第一の目的は神を賛美するのであって、神様がその意図を見て喜べばいいだけの話なのだから。少なくとも自分はそんな意図として一緒に楽しんでいて、だからと言ってそれが大衆音楽鑑賞において本作の完成度を格上させる理由にはならないが、それでもその意図に沿って鑑賞するとき、本作のいいところがもっと見つかるはずである。(むしろ、ゴスペルアルバムと広報した《The Life of Pablo》はゴスペルの要素が少なく、名盤ではあるものの、〈Ultralight Beam〉を除くとそこに賛美の目的はあまり見つからなった。)

キャリアーを通じて自分自身を神聖に飾り上げた彼がゴスペルアルバムにおいてはむしろその「神聖さ」に執着しない姿を見せるが、この選択が気に入る。《Yeezus》、特に〈I Am a God〉などで見える絶対神聖性の近くにでも至ろうとする欲望が除去されたところには、ただただ神への愛を表す単語で埋め尽くされている。導入の賛美〈Every Hour〉は、今まで偉大・崇高さなどの演出に使われた合唱団が、もっと軽く自由な雰囲気の中、楽しく賛美することで、日常的な礼拝の空間に聴者を招き入れる。そのようなゴスペルアンサムとしては、彼専有のソウルサンプリング感覚が輝く〈God Is〉もいいし、速度感と浮遊感が特徴の〈Water〉も現代的なトラックメークと合唱団の良い融合だと考える。

〈Follow God〉などで見える信仰と実生活での乖離に悩む姿は多くのクリスチャンが抱えるそれとあまり変わらず同質感を感じ、〈On God〉で自分を交通事故から生かした奇跡などを告白し、自分が神に属することを告白する姿は、初期の名曲〈Through the Wire〉で感じた感動を再び償還するとともに、一人のクリスチャンが信仰の戦いから勝利する場面を演出し、「カニエの暮らし」という別格のイメージが展示されるにも関わらず、共感を通じて感情を高揚させ、前半部を成功的に結ぶ。また、後半部の〈Hands On〉では自分を”halfway christian”と称し、自分がこのようなゴスペルアルバムを出した時、一番最初に評価するのがそのクリスチャンであることを予見するが、それは現代教会で再び発生している律法主義と、教会分裂の様相を象徴できる場面なのかもしれない。

前半部の、信仰心を失って迷い、取り戻すストーリーは単純かつ力強く展開される。そこには、起承転結の起を担当する〈Selah〉のインパクトがあるのではないか。

彼らがイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる』といわれるのですか。」
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。 … ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。 … 」
―ヨハネの福音書8章33,34,36節

上記の御言葉を言及し自分の状況に対置させる〈Selah〉は彼がこれまで扱ってきたレイシズム問題とも重なり現実的なインパクトを持ち、「ハレルヤ」を高潮させるブリッジはアルバムで一番崇高な瞬間を演出する。さっき「神聖さに執着しない」といったのがまだ有効な理由は、ここで演出された崇高は彼が罪に臆され、神の命の本に記されてないかもしれないという切迫感から歌う神聖さであって、そこからだんだん自由になっていく過程に属するからである。

そうやって悲壮に始まるムードが〈Otis〉を連想させるヒップホップビートの〈Follow God〉に転換するところも好きだ。ライムプレイも面白いし、状況が〈Selah〉からもっと具体的に提示され、それがクリスチャンならだれでも陥るような信仰と生活の矛盾である。それらを聴いてまた最後に出てくる彼の叫びは共感ができるものなのだ。〈Closed on Sunday〉と〈On God〉をその克服過程として聴くと、破片になっているストーリーがある適度自然に流れると思う。〈Closed on Sunday〉でのメイン楽器チェンジはいつ聞いても絶妙だし、〈On God〉の中毒的な電子音、ちょうどよい変奏とソースサンプルの打ち込みは、《Yeezus》が大衆音楽に及ぼした影響の延長戦にあるものを取ってきて、その時とはまた正反対の告白をしているという点が印象深い。

中盤に賛美目的の曲を配置し、後半の2曲(〈Hands On〉,〈Use This Gospel〉)で再び感情の落差を作った後、〈Jesus Is Lord〉という唱栄賛美で結ぶ流れは最高だ。特にクィーン(Queen)の名盤《A Night at the Opera》の〈God Save the Queen〉を連想させるアウトロ〈Jesus Is Lord〉は、この配置だけでアルバムを一編の完結したサンデーサービス(Sunday Service)に変える。1分もしないこの曲の配置によってアルバムのコンセプトが強固になるという点で、カニエのディスコグラフィーにおいて《My Beautiful Dark Twisted Fantasy》以降のアルバムのアウトロソングの中でも結構インパクトの大きいアウトロだと思うくらい、素晴らしい締めだったと思う。

まあ、本作に対していいと思った点はこんなストーリーよりは(*英語できません)単純に音を配列する感覚が生きていると思ったからだし、これに対する酷評との意見はたぶん合いにくいし、本文で提示した長所もやはり反論されやすいもろい主張だと思う。しかし、本作に対し、前作の既視感を論じるには、その多すぎる既視感の間をすいすいと横切る感じで、正直になりすぎた作曲はむしろ《ye》のそれよりも進歩してると考えている。それに、一番重要な、これを作った意図は、賛美の対象になるイエスが知っているだろうし、その方が快く受け入れるのなら、まあそれでよいじゃないか。


おすすめ度:★★★☆ (A-, 7/10)

おすすめ曲:〈Follow God〉



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