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物件引継ぎ完了。さよなら中目魚。またいつか。

2020年7月30日(木)13:00に管理会社さんへ物件の引継ぎが完了しました。約13年間ここへ通ってきました。家で過ごす時間よりここで過ごした時間のほうが長かったですね。スタッフがいた頃は昼の12:00前後に来て日にもよりますが大体25:00頃に帰る。東日本大震災の時には夜の売上がなかったのでランチ営業もしました。その頃の出勤時間は大体10:00頃帰りの時間は変わらず25:00くらい(この時期にいたスタッフには苦労をお掛けしましたし感謝してます。この時期だけではないのですが、この時期は特に。)今年に入って仕込みからひとりでやるようになり出勤時間は11:00頃。緊急事態宣言後は営業時間も20:00までだったので12:00~20:00の営業時間。その時は10:00前後の出勤時間でした。ま。とにかくここの空間で過ごしたのは13年間の半分位ですかね。

客席からカウンター

中目魚はけっこう手造りのインエリア?!店内装飾品が多いのです。↑上の写真のカウンター上の「No魚Man NoNeed」の茶色の看板的なものも手造りです。東急ハンズでベニヤ板を買いカットしてもらって茶色のペンキを塗って白のポスターカラーで文字を書きました。天井に木ねじつけてそこにぶら下げて(何回も何回も落ちています。その度に修理して愛着満点です)その上の日本酒ラベルも飲み干された一升瓶をぬるま湯につけて丁寧にはがし季節ごとにラベルを貼っていきました。よく見ると春夏秋冬の順番で季節酒のラベルになっています。因みに「No魚Man NoNeed」の造語の意味は「必要のない魚はいない」の意味です。

刺場から写真

ここからの風景をわたくし立花はよく見ていました。(刺場から入口、その奥に神棚がありました。明治神宮商売繁盛札は毎年お正月に買いに行ってました。お参りは混んでいるのでせずに札だけ買ったりして)この入口から何名の人が通ってこの店に入ってきたのだろうか。何名の人たちをここから見てきたのだろうか。もうこの場所には帰らない。この景色は見ることができない。と。感傷的になったほうがドラマになるのだろうが…書いていてもなかなか今は感傷的にならない立花がいます。あとから実感がわき感傷的になるかもしれません。その時にもう一度、この場で振り返り感傷的に書いてみたいと思います。今は終わったんだと現実的に思うだけです←この事が寂しいですね。

とにかく13年間来店して頂いた全てのお客さまやスタッフ全員、業者さま。ありがとうございました。立花は時代、自分に負けました。しかし。立ち上がります。またこけます。進化して立ち上がります。何度でも繰り返します。時代と自分が存在するまで。

ではまた。

お店の再開に向けて。災害に強い飲食店を目指して日々思考工夫して頑張りたいと思います。応援よろしくお願いいたします。