見出し画像

自分のど真ん中で生きる

1月1日の地震発生以来、氣分のムラがありしんどくて。

2日にそんな氣持ちを少しアウトプットしたのだけど
しっくりきていませんでした。

もっと深いところに何かある、でもどう表現いていいかわからん…
と悶々としていたらいつもnoteを読ませていただいている私の好きな
筆者さんの記事に


「やっぱそれでええんやんなぁ」

と許された氣になりようやく心が落ち着きました。
(その方の記事⇩)


地震後、こちら大阪はとても氣持ちのいい穏やかなお天氣で
おひさまの日差しを浴びて

「あー氣持ちいい。なんて清々しいんやろう!」

とその心地よさを感じる瞬間、

「こんなことしてていいの?」
「こんな氣持ちいいーなんてこと言ってもいいの?」

というモヤッとした感じが心によぎるのです。


なんだこのヤな感じ。

これはどこから来てるんやろう?
なんでこんなこと思うんやろう?

と思ったので

「じゃあ私はどうしたいん?」

と自分に聞いてみたら

「私は私のできることをすればいい」

という答えだったので、できることをしてみたけれど
落ち着かなかった。

そんな時、前述の美帆さんの記事を目にしてホッとしたのです。

でね、思ったんよ。

私は誰かに
「それでええんやで」
って言われたかったんやなぁ、って。

誰かの承認が欲しかったんやなぁ、って。


誰かの承認が欲しいのは自分の世界で生きていないから

で、一旦氣持ちは落ち着いたもののまだスッキリしなくて

今朝、
なんで私は誰かに認めてもらわないと落ち着かなかったんやろう?

と探っていったら

【 私は私の世界の真ん中にいない 】

ということに氣づいたのです。

みんなそれぞれに「自分の世界」というのがあって(スピリチュアル業界で言われる『ひとりひと宇宙」という表現)

それは誰の世界がいい、誰の世界が悪いと比べるものではなくて

自分が自分の世界の中心にいて、そこでの「正解」「不正解」は
自分だけが知っている。

自分の「正解」が他者の「不正解」であっても、そこは氣にする問題ではなく

「あなたはそう思うのね。でも私はこう思う」

でいいはずなのに、私はその自分の世界の中心にいなかった。

いや、いたのかもしれない。

いたけど「私の正解」に自信が持てなかった。

だから誰かの承認が欲しかったんや…。

それが分かってストーンと深いところで腑に落ちました。

で、その時降りてきた言葉が

【 自分のど真ん中で生きる 】


年末に受けたお金のセッションでの氣づきといい、今回のことと言い

『私が私を真正面から認めて、自分の世界の中心で生きる』

今年はこれをやるんやなぁ、と思いました。


そんなことを感じていた時、どこかカフェでお茶しようと検索してたら
万博記念公園が出てきて。

なんとなく呼ばれてる氣がして太陽の塔を見に行ってみると


ドーン!!!

ど真ん中を生きてるこの方が鎮座されていました。

誰に何を言われても「私は私の正解を信じる」という強さ。

それを持つ「覚悟を決めろ」と言われてる氣がしました。

ここ数日のモヤモヤ→落ち込み→氣づき。

今日ここへきてようやくスッキリしました。

この氣づきを自分のものにしたいので、ここで言っておきます。

私は私を信じて私のど真ん中で生きていきます。

(はぁ~言うてもうた。大丈夫か私? と思わなくでもないが
そんなビビってる私もまるっと受け入れて進んでいきます笑)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?