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最近考えてることアソートパック(日記が書けない、感情が空っぽ、自己顕示欲が無理)

アイキャッチは東京駅の丸の内北口を、真下から撮影したもの。ずっと見てると、中央の黒い部分に吸い込まれそう。精神崩壊しそうになるから、凝視は非推奨。

最近、日記が書けなくなった。いくつか思い当たる理由はあって、ひとつは理想的な日記が書けないからということ、もうひとつは人と会って話聞いてもらってる時間が多かったので物理的に内省の時間が減っていること。

理想的な日記に関しては、最近は何を書くにも仕事みたいな、論理的な文章になってる気がして、どうやって脱出したらいいのかわからない。ただ、私はそういう感情抑制の面が強いだろうし、きっと出口なんかないと思う。

本当はもう少し、寂しさや悲しさがそこはかとなく漂う詩的な日記を書きたい。たぶんそういう感情が枯渇しているから、書けなくなったんだろうな。前はもう少し書けたような気がするら。無理に苦しむ機会を作るものではないし、ある程度は仕方がないと思ってる。

それと人に話聞いてもらって日記が書けなくなったということは、たぶん日記は誰かに理解してもらいたい手段だったんだと思う。内省の象徴である日記が、承認の手段であったことはとても寂しく思う。でも言いたいこともないのに書けないから、仕方がない気もしてくる。

今日に限ったことかもしれないけれど、異様に頭や心が落ち着いて冷静で、感情が空っぽになってる気がする。虚無とかではなくて、感情を生み出すエンジンが壊れてる感じ。実際には多少は動いてるんだけど、でも全体的に悲観するほどの熱量がないというか、どうでもいい、みたいな気持ち。

苦しかったり辛かったりしたあれこれも、なんでそんな思いしてまでやってたんだろう、馬鹿みたいだなと表情変えずに思える。今日は友達と自分を比べてしまい少しだけ溜め息が出たが、それは私が努力したところで、どうにもならないことだった。

変えられないところに何か思ったって仕方がないから、自分がレバーもてることにブレイクダウンしてそれを潰すしかないよね、と淡々と考えている。普段に比べたらだいぶ冷めてるが、そもそもこれが普通の精神状態なのかな。

そもそも、友達と自分の差だって、私がほしくて仕方がないものというよりは、世の中の人の大多数は欲しがるよね、みたいなものだし、本当に羨ましいのかと言われると、全然わからない。最近、他人の自己顕示欲や承認欲求とか、そういうもの受け付けなくなったから、自分のそういう部分にも抑制が走ってるんだと思う。

何を差し置いても、自分の言いたいことを言おうとしてる人を見て、そこまでして自分が認められたいのかな、と冷めた気持ちになっている。己の主義主張に基づいた意見ならわかるけど、そういうわけじゃないから。

きっとそういう人たちは余裕がないんだろうけど、私だって特別愛しているわけでもない他人の余裕のなさを受け止められるだけの余裕や慈悲だってないし、他を当たってくださいと思う。時に自分のなかに眠る冷たい薔薇というか、びっくりするほど合理にしか沿えない冷酷さが顔を出す。今日はそんな日の気がする。

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