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産後5ヶ月。ひとり時間の抹茶フラペチーノ(わたしの文脈メシ)

スタバデビューをしたのは、高校1年生の夏頃だった。

中高と部活は水泳部に入っていて、オンボロ校舎のなかでは比較的新しい、わたしと同い年のプールで真っ黒に日に焼けながら泳いでた。

冬は部室でみんなで毛布にくるまりながらくっちゃべるばかりのゆるい部活ではあったけど、夏は一生懸命泳いだ。

私立の水泳強豪校なんか、室内プールがあるからもうみんな肌は真っ白なままで、でもおんぼろ公立高校の水泳部だったわたしは、わたしたちは日に焼けて、夕方になると目しか見えなくなるような全身の焦げた肌を誇りに思っているようなそんな高校生だった。

泳いで、勉強して、泳いで。プールサイドで宇宙について将来について語り合って、今思えば、The青春という感じの濃い日々。

いつものように泳いだあと、同い年のマネージャーさん(ゆるい部活だけどマネージャーさんがいた)と話しているときに、「allisちゃんスタバ行ったことないの?じゃあ今度一緒に行こう」と声をかけられた。


スタバ。

それはわたしにとっておしゃれ女子の行く代名詞みたいなところで、縁のないどころか頭の片隅にも出てこない憧れの場所。

「抹茶フラペチーノが美味しいんだよ!」とマネージャーさんが素敵な声で喋って、わたしは人生で初めて、高校の最寄り駅のスタバに行くことになった。

そこから先、どう待ち合わせをしたのか、部活のある日なのかない日なのか全く覚えていないのだけど、一口目の抹茶フラペチーノの甘味とほんのり苦味のある抹茶が口の中に広がったことはよく覚えてる。なにこれ、美味しい。

それから、味をしめたわたしが冬にもう一度ひとりで飲んで寒くて凍えたことや、大学生になって大学の授業をさぼってスターバックスラテを飲みながら塾講師のバイトの予習をしていたこと、当時の恋人で現在の夫が頼んでいたソイラテにくら替えしたこと。

スタバに行った回数こそ多くないのだけど、「抹茶フラペチーノ」を思い出すと、他にもぶわっと記憶が再生される。

というわけで話を現在にうつすと、春に可愛いむすめ(ばおばお)が生まれて、わたしはこのばおばおと四六時中一緒。最近主張も激しくなってきて、へとへとなので母であるわたしもひとり時間がほしい。

というわけで夫と話し合いの末、わたしは週に1回2時間くらいお出かけをすることになった。(ここで「お出かけをさせてもらえることになった」とは書きたくない)

何をやりたいかを考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが、スタバで抹茶フラペチーノを飲むことだった。

という「なぜ抹茶フラペチーノなのか」という経緯を全く話さずに、夫に「スタバの抹茶フラペチーノ飲みたい」と言ったところ、優しい夫がこの前テイクアウトで買ってきてくれた。ありがとう、夫。(でも実は一人でスタバの店内で飲みたかったのはやさしさを裏切るようなので言っていない。なので、タイトルの「ひとり時間の」というのは実は嘘なんだ)

何年どころか10年近くぶりの一口。あれ、記憶よりも甘くない。抹茶の苦みみたいなものもあって美味しい。美味しい。思い出の抹茶フラペチーノは産後のばたばた生活を過ごす母に沁み込んで、活力を回復させてくれたのでした。


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坂るいすさんの『「文脈メシ」で妄想が止まらない』という記事を読んで、一気に書き上げた「わたしの個人的文脈メシ」でした。(もう応募は終わっているみたいですね)


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