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パスカルの定理。そっちもパスカルだけれど、こっちもパスカル。

「無知を恐るなかれ、偽りの知識を恐れよ」。
 Don't be afraid of ignorance, be afraid of false knowledge.

 フランスの哲学者・思想家・数学者である「ブレーズ・パスカル」の言葉をいきなりであるが書いてみる。
 有名にしてけだし名言。
 言葉に魂が宿るというのはまさにこういうことを言うのだな、と感心してしまうほどに、圧倒的な破壊力がある。彼の言葉を思い出すたびに私はそう思う。
 私はこの言葉を思い出すたび、こめかみを思い切り殴られたあと、そのまま腕を落として肘で人中、続けてミゾオチに膝蹴りのコンビネーションを喰らったように、体ごと崩れ落ちる思いがするのである。

「無知を恐るなかれ」とは無知であることを恐れる必要はない、とは言っているが、彼は決して無知であることを良しとはしていない。無知を認め知恵を身に付けることが肝要だと説いている。

 私はまるで毒牙に絡め取られてしまったように、日々無知であることの罪を説いているが、その行為において付き纏うのは、彼の以下の言葉。

「人間の偉大さは、考える力にある」。
 Man’s greatness lies in his power of thought.

 彼の言葉に沿うならば、その偉大さを身に着けようとさえしない人間のほうが多数を占める。偉大さなんて特に欲していなくて、テレビとYou TubeとマンガとNetflixとアニメと、草刈りと町内会とか。K-POPと鬼滅の刃と、あとはなに? ノマド生活、カフェ巡り?
 特に田舎者。今現在、田舎で暮らしているかどうかではなく、精神の田舎者。都会や海外なんて、たまに遊びに行くだけでいいと思っている、田舎っぺ。おら、東京さ行かない。ソフィスティケイテッドとはまるで無縁の生涯農民、エタヒニン。

 私はいつも感じるのだけれど、考えないこと、すなわち思考の放棄は自分自身だけではなく、周囲にとって、あるいは世界にとって、害悪となり得る。物事を考えない人間はスプレッダーとなり、周囲の人間を「無知の無知」に感染させる。パンデミック、日経平均暴落、世界恐慌、バイデン圧勝。

 とはいえ、考える力を持たない人間は確実に存在している。

「人間はつねに、自分に理解できない事柄は何でも否定したがるものである」。
 People are always willing to deny anything that they don't understand.

 そう、否定してくる。分からないと考えるのではなく、全否定。
 私は時折、これで痛い目に合わされる。そんなハエが止まるようなパンチはすべて見切って、ジャブ、リードジャブ、ストレートから、斧刃脚で二度と立ち上がれないようにしてあげてもいいのだぞ。

 しかし根っからの平和主義者である私は、そのような人間と対峙した時、教えるのではなく、考えさせるようにしている。ボコボコにはしない。というのは、私の心棒しているソクラテスからの受売りで、彼は以下の言葉を残している。

「私は誰にも何も教えることはできない。考えさせることしかできないのだ」。
 I cannot teach anybody anything, I can only make them think.

 私は他人に何かを指導する際にこの言葉を必ず思い出す。
「マインドセット」とかの流行りのチープな言葉を持ち出す必要もなく、その「考えない癖」を改めさせないことには、何も前に進まない。ドント・シンク! フィール! ではダメで、一度考えさせる。往々にして「考えない人」はその間違った己のスタイルに陶酔しているところがあるので、とても面倒くさいのだが、「間違ったことは間違っている。正しいことは正しいのである」と結果を提示しながら、説いていく必要がある。

「でもさ、日本人って『考えない人』めっちゃ多くね?」

 私はそんな絶望的な気分になることがある。海外ではほぼそう感じたことはないが、日本に帰ってきてからの、この一年。もうヤダ。これは学校教育に関わる問題が大きく、常に答えのある問題を暗記して解いてきただけしかしていないから、要するに誰かが用意した答えを咀嚼もせず丸呑みしているだけなので、それは消化されることもなく、そのままウンコとして排泄されるのである、などとありふれた定義をしたくなってしまう。唾棄。

「私は手や足、頭のない人を想像することはできる。しかし、私は思考のない人を想像することはできない。彼は石か獣だろう」。
 I can well conceive a man without hands, feet, head. But I cannot conceive man without thought. He would be a stone or a brute.

 またパスカルに戻って、私はこの言葉を思い出す。
 彼は石か獣なのだ。彼は人ではないのだ。ヤダヤダヤダ。誰か助けて。言葉を持たない獣が何かを考えられるわけなんてない。

 助けてー! パスカルー!
 
「知識は悲しみである。多くを知る者は、怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない。知識の木は生命の木ではないから」。
 Knowledge is sorrow. Those who know much are compelled to grieve deeply for the horrible truth. For the tree of knowledge is not a tree of life.

「人は死や不幸、無知とは戦うことができないので、幸せになるためにそれらのことを全く考えないようにしてきた」。
  As men are not able to fight against death, misery, ignorance, they have taken it into their heads, in order to be happy, not to think of them at all.

「人間には二種類しかない。一つは自分を罪人だと思っている善人であり、他の一つは、自分を善人だと思っている罪人である」。
 There are only two kinds of men: the righteous who think they are sinners and the sinners who think they are righteous.

 ……パスカルさんの言葉は何の救いにもならない。ただただ私をさらに深い絶望の淵へと誘うだけである。

 とにかく、私はこの事態に匙をブン投げさせて頂く。よってこの文章には教訓も何もなく、これは私の単なるグチでしかないが、吐き出したいことが多すぎる、こんな日常。

 私は愚かな天国よりも知的な地獄のほうを好むだろう。
 Fear not, provided you fear; but if you fear not, then fear.

 私は知的な地獄へ落ちたい。それまでの日々、単なる暇つぶし。

 そして、困った時には、私の師匠、ソクラテスを呼び出せばいい。

 助けてー! 我が父、ソクラテスー!

 唯一の善は知識で、唯一の悪は無知である。
 The only good is knowledge and the only evil is ignorance.

 議論が失われると、中傷が敗者の道具となる。
  When the debate is lost, slander becomes the tool of the loser.

 知恵は疑問から始まる。
  Wisdom begins in wonder.

 さすが、ワイの師匠。
 生きているだけで、みんな偉い。褒めて。
 死ぬこと以外、かすり傷(クリス岡崎から箕輪がパクったが、後出しのほうが有名)。

 今日も今日とて私は、這いつくばりながら生きている。
 イージー・カム、イージー・ゴーイング。知らんけど。


野良犬募金よりは有効に使わせて頂きます。