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「道」ではなく「術」を重んじて生きる。

『道』には、「人の守るべき義理。宇宙の原理。教え」という意味がある。
『術』には、「何回も行って自分のものとなった能力。手仕事の能力。学問。わざ」という意味がある。

 これまでの人生、僕はずっと「道」を歩いてきたのではなく、「術」で生き延びてきた。そのように実感する。

 優しいお父さんお母さんに育てられ、子供の頃から元気いっぱい、地元の中小企業に就職して、同僚であった女性と結婚し、二人の子供を授かり、生まれ育った町で幸せな人生を送りました。

 というような三行で書けてしまう牧歌的な道を、僕は歩んでこなかった。

 祖父母から勘当された両親が実家から遠く離れた町に逃げて暮らし始めてすぐに生まれたのが僕で、高校の国語教師だった父親がキチガイになって精神病院に入院したので、母と姉と僕の三人で夜逃げをして、中学卒業間近に父親が死にやがったので、女だけの家を守らないといけないと一念発起、家族で男一人だった僕は武術を習い始め、進学のために京都に引っ越したら、母親が別の男と再婚してまた引っ越したので、僕には実家というものがなくなり、バンドで食っていこうとライブハウスでガチャガチャ演奏して、次に小説家デビューのチャンスを掴んでも、まともに食っていくことなどできなかったが勢いで結婚して、仕事がないから少林寺に修行に行って帰ってきて、外国語が使えるということで翻訳会社に勤めて、すぐに辞めて自分で会社を作って、最初は翻訳会社だったけれど、儲かりそう、という理由だけで泥縄式にITの勉強をして、気付いたら「女子アナもがっつりいけそうなITベンチャーの社長」になっていた。
 そして子供が生まれてから両方の地元で子育てをしたら、田舎というものがほとほと嫌になったりして、離婚して、海外移住。コロナが流行して、日本滞在のまま海外に出れなくなっているのが今。

 ざっくり書いただけでも十五行になってしまう。どちらかというと、ワイルドな人生。

 僕は国内だけでも二十回以上の引っ越しをしていて、海外にも行ったり来たりしている。仕事にしても二十種類以上の職種を経験している。なんか流行っている、という理由だけで仕事を変える。

「地元から出たことありません」みたいな同級生と話すことはほとんどなく、地元の方言もだいたい忘れていて、同級生だったはずの人から、何を言われているのかを理解できないことが何度もあった。方言分からん。

 大体、僕は地元に帰ると「姫路動物園にいる珍しい動物アリアリ」みたいな扱いを受けて、うわー、長髪ー、英語喋ってー、カンフーやってー、ギター弾いてー、プログラミング教えてー、法律教えてー、なんか喋ってー、なんか犯罪者みたーい、なんか面白いこと言ってー、ボケてー、もっとボケてー、みたいな感じになるので、珍獣扱いせんといて! 人のことなんやと思とん? と辟易してしまう。おんどれ、わーれー、べっちょないー、らっきゃー、めげとん? みたいなやつ(播州弁)。

 人生は長く険しい道である、とか言われても「そうじゃないだろう?」と僕は反抗心を持つ。浮かんでは沈む池に浮かぶ石の上をひょいひょいと飛び移っていく、というほうがぴたりと僕の感覚に合う。

 ロング・アンド・ワインディング・ロード? 
 ノー。
 ホップ・ステップ・ジャンプ!

 またこういう話になってしまうのだが。
「道」というと、「柔道、剣道、空手道」なんかの『武道』が連想される。
 この『武道』というのものを僕はとても嫌っていて、日本の町中にたくさんある「武道館」やら「体育館」やらは、中国『武術』の門下生である僕らは一切使わせて貰えない。
 いわく「靴を脱げ」、いわく「正座しろ」、いわく「深々とお辞儀」、いわく「礼を重んじろ」、いわく「道着を着ろ」、いわく「靴下は膝下10センチ」、いわく「相手に敬意を払って、寸止めで殴りなさい」、いわく「前髪はオンザ眉毛」、いわく「ブラジャーは白限定」、いわく「学生らしい男女交際を」……。
 さっさと殺し合いしようぜ。御託はいらないからさ。
 笹川良一に金を貰えるからと魂を売り渡し、税金で建てた場所使ってんだろ。元々てめーらも「柔術、剣術、唐手術」だっただろ。この右翼野郎。
 というようなことは思っていても、決して口には出せない。だから、ここに書いている。
 空手道、一人前になるまでに十年。じゃあ、九年間は素人と同じか。使えねー。やっぱ、習うなら武術。
 武道は型が決まっていて、そこからはみ出すことができない。
 押忍、押忍、だけ言っておけば、ほぼ正解。
 武術は何でもありで美味しいところをつまみ食いすればいいので、僕は少林拳と酔拳と蟷螂拳とジークンドーと形意拳と骨法と八極拳と太極拳をミックスして、刀、剣、ヌンチャク、峨嵋刺なんかの武器を持っても戦うことができる。なんか流行ってる、という理由で色々と練習したら、こんなのになってしまい、香港マフィアと知り合って無影拳という流派に行き着いたのが僕。

(よく誤解されるのだが「少林寺拳法」は日本の武道であって、中国武術とは一切の名称および団体名は関係ありません。ややこしいんだわ、似たような名前をつけやがって)

 話が横にそれた。

『人生は「道」として象るのではない、人生は「術」として象られている』。

 これが僕の実感である。
 少なくとも、僕は振り返っても人生のスタート地点は見えない。
 背伸びをしても、人生のゴール地点は見えない。
 ただ僕には、次に飛び乗る足元の石が見えるだけである。

 次に飛び乗る石。
 実は、今は僕に見えていない。
 見えていないのに、飛び移ってしまった。

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