大河ドラマの「麒麟がくる」を見ながら十二国記の思い出を振り返る(1)<月の影 影の海編>
毎週日曜日は「麒麟がくる」なわけです。
ですが、麒麟といえば十二国記でしょ!と思ったあなた。
この記事は、十二国記ファンのための記事です。
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十二国記を読み始めたのは高校生の頃でした。今はもうなくなってしまったのですが、札幌にくすみ書房という書店があり、そこでなんとなく目に止まったんです。今思えば、店長の久住さんが素敵なプレゼントをくれたんでしょうね。
当時は講談社文庫でした。このカバー絵も懐かしいです。発売されたのは1992年だったんですね。
「あなたは私の主(あるじ)、お迎えにまいりました」
学校にケイキと名のる男が突然、現われて、陽子を連れ去った。海に映る月の光をくぐりぬけ、辿(たど)りついたところは、地図にない国。
そして、ここで陽子を待ちうけていたのは、のどかな風景とは裏腹に、闇から躍りでる異形(いぎょう)の獣たちとの戦いだった。
「なぜ、あたしをここへ連れてきたの?」
陽子を異界へ喚(よ)んだのは誰なのか?帰るあてもない陽子の孤独な旅が、いま始まる!
最初読んだときの感想は「なんだこれは?よくわからないぞ?」でした。
それもそのはず。上巻は、主人公の陽子が、重苦しい日常から一転、突然訳も分からず異界に連れ去られ、ただ絶望する、というだけのお話だったからです。ただ、続きは気になりました。
確か、上下巻まとめて買っちゃったんだと思います。下巻も読むしかありませんでした。
「私を異界(ここ)へ喚(よ)んだのは、誰!?」
海に映る月影をぬけ、ここへ連れてこられた陽子に、妖魔は容赦(ようしゃ)なく襲いかかり、人もまた、陽子を裏切る。
試練に身も心も傷つく陽子を救ったのは、信じることを教えてくれた「ただひとり」の友──楽俊(らくしゅん)。ひとりぼっちの旅は、ふたりになった。
しかし、“なぜ、陽子が異界(ここ)へ喚ばれたのか?なぜ、命を狙われるのか?”その真相が明かされたとき、陽子は、とてつもない決断を迫られる!
下巻では、上巻の謎が気持ちよく回収されていきます。
読み手は、陽子と一緒にこの世界の不思議を知っていくことになるんですよね。今でもその時の衝撃というか、「そうだったのか!」という気持ちを思い出せます。
十二国記の魅力はその緻密な世界観や多くの登場人物にあると言われます。
しかし、僕が最も好きなのは、この作品の全編に渡って貫かれているポリシーといいますか、生きることそのものに対峙する考え方です。
異世界で一人になった陽子は、食べることも飲むこともできず、まともに寝られる場所も無くなってしまいます。しかも異形の者(=妖魔)がひっきりなしに襲ってくるので、命も危ない。陽子は出会った人にすがるように助けを求め、その後、裏切られることを繰り返しました。結果、彼女は誰も信じなくなってしまいます。
そこで出会ったのが楽峻。見返りを求めず優しくしてくれる彼を、陽子ははじめ信じることができませんでした。しかし、ある時彼女は気づくのです。
裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、私のなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい。
当時はこの言葉を素通りしていました。この言葉が持つ本当の意味の大きさに気づきませんでした。
善意でなければ信じられないか。相手が優しくしてくれなければ、優しくしてはいけないのか!そうではないだろう…、私が相手を信じることと相手が私を裏切ることとは、何の関係もなかったんだ。
いくら自分が相手を信じて尽くしても、その相手に裏切られてしまうことは、残念ながらよくあることです。その時、自分が悪かったのだ、と反映し、もう裏切られるのは嫌だ、相手を信じるのはやめよう、と弱気になってしまう経験をした人はきっと多いはずです。
でも、この2つには関係がないのです。なぜならあなたと相手は別の人間だから。
世界も他人も関係ない。私は優しくしたいからするんだ!信じたいから信じるんだっ!!
陽子の台詞を受けて、楽俊が言ったのは次のような言葉でした。
そんなのおいらの勝手だ。おいらは陽子に信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。おいらを信じて陽子は得をするかもしれねえし、損をするかもしれねえ。けどそれは陽子の問題だな。
楽俊にははじめからちゃんとわかっていたんですね。2人の人間が別々の個体であるのは寂しいことです。わかり合いたい。でも自分の問題を相手の問題にしちゃいけないんです。それは勝手な依存です。
人は孤独です。孤独だから相手を求めるし、分かり合うことが難しいからこそ、大事だと思う相手を尊重する。
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大人になってから、何度か十二国記を読み返す機会があります。新潮社から出た本も買い揃えました。
彼ら(登場人物)の言葉は、学生の頃に読んだときよりもずっとずっと強く、深く心に響きます。
そして、自然に背筋が伸びます。真剣に生きる彼らを前にして、自分も真摯に生きなくてはという気になるからなのだと思います。
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陽子が慶国の王として生きるか元の世界に戻るか悩んでいる時、楽俊が陽子にこんな言葉をかけました。
どっちを選んでもいいが、分からないときは、自分がやるべきほうを選んでおくんだ。同じ後悔をするなら、軽いほうがいいだろ。
この言葉は、今では自分の1つの行動基準になっています。「自分がやるべき方」というのは正直言って正しく判断できるとは思いません。ですが、この言葉は「一歩前に出てみろ」と自分を後押ししてくれるような気がします。日々生きている中で訪れる、無数の岐路で、少しでも前に進むための勇気をこの言葉がくれていると思うのです。
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さて、王たる気質を持った陽子のところに、文字通り、麒麟は来ました。
景王となった陽子。
ここから、物語が始まります。(続く)
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