見出し画像

ボランティアについて考える

私の働いている会社では、ボランティア(有償)として事業に関わってくださる大学生が100人近くいます。ただ、年々その数は減っていっており、特に4月、5月のこの時期には、新たにボランティアに参画する大学生をどう増やしていくか、苦労する時期でもあるのです。
そして同時に少し複雑にしているのが、非常勤(アルバイト)契約として従事する大学生も一定数おり、同じ大学生という立場でありながら、時給で働いている者とボランティアとして活動している者が混在しており、それらの違いが明確な線引きと言うものもあまり出来ていないという現状も。。

社内で日頃ボランティア活動している者と関わる機会が多いからという理由もあるが、世間でも見聞きする「ボランティア」について、どういった姿が望ましいのだろうかと考えることが時々あります。(ちなみに自分も最近、趣味に関わるものではあるが、いくつかボランティア活動に参加してきました)

正しいかどうかは不明ですが、ボランティア活動というと、自分はじめ世間一般的に思い浮かべるのは、
「無償でするもの」
「誰か(特に困っている)人助けをするもの」
といったイメージかと思います。つまり、「奉仕する」という意味合いを強く感じさせます。実際、広辞苑にも「奉仕者」と載っているので何も間違っていないかと思いますが、自分としてはもうひとつの意味「志願者」(こちらも広辞苑に載っています)という捉え方、認識がもっと広がっていったらいいなと思うのです。

奉仕者と言うとどうしても、頼まれごとをする、助けてあげていると言う上から目線など、受動的な面を感じてしまうのです。(これは言葉のニュアンス、解釈の問題でもあるかと思うので、奉仕者と聞いて全くそう捉えない方はごめんなさい)反対に志願者であれば、自ら進んで行う、自分がしたいからしていると言う能動的な意味合いを強く感じることが出来ます。


少し話が変わりますが最近読んだ本の中で「マザーテレサ 愛の贈り物」と言う本があります。めちゃめちゃ温かく、考えさせられる本でした。その中で、マザーテレサはボランティア活動に来た人々に対して、

「ボランティアをしに来たのではないですよ。あなたがたがボランティアされに来たんですよ」

と仰っています。つまりボランティアとは人助けという意味ではなく、人に対して思いやりある行動をするということは、イエスキリストと直接触れ合うことであり、その喜びを感じ得る自分がボランティアされているのですと仰っています。「人を助けてあげている」という感覚ではなく、自分が尊いことをさせていただいているという気持ちが大切なんだと私は感じました。


最初の自分の会社に携わっている大学生ボランティアの話に戻りますが、活動していて、どうしても会社側からお願いする、助けてくださいと声を掛ける場面が多くあります。それも決して間違いではないのかもしれませんが、もっとボランティアに参加する人たち自身が、能動的に「あれやりたいです!」「これやらせてください!」と言える、そしてボランティア活動している人たちが喜びを感じる、そんな姿がボランティアの理想の姿なのではないかなと思う、2023年度一発目のnote投稿でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?