私と川田がRAPT理論をエリカに教える動画(4)

RAPTさんのインスタ対談を簡単に文字起こししています。

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動画はこちらからどうぞ。

前回の続きになります。


~対談続き~

カワタさん「その、もともと、日本から世界中にすごい技術というか文明を持っていた人達がいて、その人たちが蛇とか悪魔を拝んでいたんですけど、そういう人たちが世界中に広がって、シュメール文明とかエジプト文明とか有名な文明を起こしていって、そうやって歴史が作られていったんですけれども。

https://rapt-neo.com/?p=25092(世界の支配層たちが古代から高度な科学技術を密かに独占してきたという幾つもの証拠。)

そのなかで、ほんとに神様を拝むユダヤ人たちが生まれたんだけども、そのユダヤ人たちの一部の人たちが悪魔を拝み始めちゃって、その人たちが住んでいた場所で悪魔を拝んだり、人道から外れたことばかりをして、迫害を受けて、それで、悪魔崇拝を持ったまま、今度は中国大陸とかそっち側に大移動していって、そこで弓月国(ユズキコク)っていう、さっきちょっと話したんですけれども。

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https://rapt-neo.com/?p=16401(「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。)

イエス様が迫害されて殺されてしまった後に、なんかキリスト教の別宗派として誕生したネストリウス派っていう宗教があるんですけれども、それを信仰していた人たちが、イスラエルがある場所と、中国大陸がある場所の中間ぐらいのところに弓月国っていう国をつくって暮らしていたんですけれども。そこからどんどん中国大陸のほうにネストリウス派の宗教がどんどん広まっていって、それが結局悪魔を拝むユダヤ教だった。」


RAPTさん「え?それユダヤ教じゃないでしょ。ミトラ教よ。」

カワタさん「あ、はい、ミトラ教。っていう太陽神を拝むっていう、ざっくりいうと悪魔崇拝なんですけれども。

https://rapt-neo.com/?p=16597(キリスト教がミトラ教から誕生したという大嘘。ミトラ教は悪魔教であり、悪魔崇拝者たちが悪魔教の要素をキリスト教に混入していったのです。)

で、どんどん悪魔崇拝が中国で広がっていって、中国では迫害されるよりむしろ保護されるようになって、すごい重要な宗教として、、」

RAPTさん「(笑) わかっているのこれ? 川田の説明がすごい淡々としすぎてて、つまんないかなと思うよね。なんかすごい固すぎて。初めて聞いた人わかんないでしょ、これ。わかった、意味? 苦笑いしてるよ。

何が言いたいのこれ?」

カワタさん「それで、弓月国の人たちから、そこに住んでいた人たちをきっかけにどんどん中国にさらに悪魔崇拝が広まっていって、そういう人たちが日本にやってきて日本に広めたのが神道や仏教っていう。」

RAPTさん「いや、仏教は最初広めてないでしょ。仏教は空海からじゃないの?」

https://rapt-neo.com/?p=24188(〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。)

https://rapt-neo.com/?p=38862(RAPT×読者対談〈第101弾〉日本は昔も今も悪魔教の国。)

カワタさん「はい。で、その空海も結局大陸に渡って、学んできたのがそのネストリム派の宗教だったっていう、、」

RAPTさん「そう、ミトラ教。ネストリウス派っていうキリスト教の一派があるのよ。で、それがミトラ教だって言われてて。ミトラ教っていうのはそれこそクリスマスで、クリスマスってキリストのあの祝祭、誕生日って言われているけど、それ嘘って分かっているでしょ。」

エリカさん「はい。」

RAPTさん「あの、ミトラの誕生日。そのミトラを神としている宗教がミトラ教なんだけど、それが実は密教になった。空海がそれこそネストリウム派っていう宗教を勉強してきて、中国行って、それを密教っていう形で、日本に広めたの。」

エリカさん「はい」

RAPTさん「それで、密教のみつって、ミトラのみだっていう人もいて、結局密教って悪魔教なの。ミトラ教なの。うん。

ふふふ(笑) 知識的に学んだらおもしろくなくない?」

カワタさん「ああー」

RAPTさん「ね? 川田がその淡々と言いすぎてて、おもしろくない(笑)。ただの勉強じゃん。だからようするに、エリカがどこに興味があるか?ってことなの。あの、何に興味がある?スピリチュアルに興味があるの?」

カワタさん「やっぱりその、お話していると、スピリチュアルにちなんだ神社とか、神社仏閣とか、です。」

RAPTさん「スピリチュアルに興味があるの? 今はないけど。」

エリカさん「はい、今はないですけれども。」

RAPTさん「で、そのスピリチュアルがミトラ教から来ているっていいたかった感じ? 何が言いたかったの?」

カワタさん「はい、昔の宗教とかも名を変え品を変え、いろんな形でいろんな人に、受けるというか受け入れられるようにして、結局はルシファーを拝ませるための目的なんですけれども。 一見すると全く違う宗教に見えるけれども、それはサタンのやり口というか悪魔崇拝者たちがいろんな人を取り込むための手口としていろんな宗教をひろめてきたっていうことで、現代はスピリチュアルっていう言葉を使って、、」

RAPTさん「まあ、スピリチュアルっていったら宗教っぽくないよね。一緒なんだよ全部。本質が一緒っていうね。(笑)」

カワタさん「カワタはすごい宗教アレルギーって思っていんですけれども、そんなカワタでもスピリチュアルだったらいつの間にか受け入れてしまっていて、でも学べば学ぶほど仏教をすごい信仰している人とかと関わりがあったりとか、神道、神社行くのが当たり前みたいな、、」

RAPTさん「ああ、結局神社行くもんね。」

カワタさん「はい。」

エリカさん「さっき、カワタさんと、そういうやり方があくどいよねって言っていたんですよ。」

カワタさん「そうそう。」

エリカさん「なんか、おっしゃっていただいたように、仏教とかミトラ教って聞くと、うん?って思ってほとんどの女性の方は興味ないですけれども、スピリチュアルで、すごく親しみやすく、身近な存在で、キラキラしたものを運んでくれるというか、、」

RAPTさん「キラキラしたものを運んでくれるの?スピリチュアルって?」

カワタさん「なんか、幸せを運んでくれるみたいな、、。」

RAPTさん「そうそう。女の人ってキラキラしたいってのがあるよね。あれ何?キラキラしたいって?きれいになりたいの?」

カワタさん「輝いている人生みたいな、、」

RAPTさん「ああ、オーラ。そのオーラの泉だっけ?」

カワタさん「はい。」

RAPTさん「あれもタイトル上手いね。」

カワタさん&エリカさん「はい。」

RAPTさん「オーラとかって言われたらなんかきれいな感じ。」

エリカさん「そうですね。」

RAPTさん「だけど、ゲイがやっているわけでしょ。」

カワタさん「はい。しかも江原は結局ルシファー信仰っていうことが、、」

RAPTさん「あの人はシュタイナーなんだよね。シュタイナー信仰なの。結局は。」

https://rapt-neo.com/?p=37128(RAPT×読者対談〈第85弾〉江原啓之・美輪明宏から始まったスピリチャルブームもすべてはルシファー信仰。)

カワタさん「なんかさっきエリカちゃんが九州の秋元(あきもと)神社だっけ、天孫降臨(てんそんこうりん)の地の神社で、スピリチュアルやっている人の、知る人ぞ知るっていう神社があるみたいなんですけれども。その神社に実は江原啓之もこっそり行っているっていう、、」

エリカさん「っていう噂が、」

RAPTさん「え?こっそり行く必要があるのそれ?なんで?」

エリカさん「ちょっとよくわからないんですけれども、私が聞いたときは、なんか、実は、江原啓之とかがブームの時で、実は江原啓之とかも行っているだよっていう、、」

RAPTさん「え?行っていたらいけないの? なんでこっそり行く必要があるの?堂々といかないの?」

カワタさん「公にしないっていう感じ。」

エリカさん「そうだと思います。こっそりなのかどうどうなのかよくわからないんですけれども、江原啓之が行っていたっていう噂があって、」

カワタさん「さっき一緒にネットで見た見たんですよ、。そしたら祭られている神が国常立尊(くにのとこたち)で、」

RAPTさん「ドンピシャだね。」

カワタさん「はい、っていう話を、」

エリカさん「そうですね。」

RAPTさん「国常立尊は覚えたの?」

エリカさん「はい。」

RAPTさん「国常立尊は相当重要なんだよ。

国常立尊たちのことが分かったからJAL123便とか解けるようになって、出雲族のことが解けるようになって、、。で、国常立尊は出雲族が拝んているって知っている?」

https://rapt-neo.com/?p=28631(JAL123便を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」とは何者なのか。3.11と御嶽山噴火にもなぜか垣間見えるこの神の正体。)

エリカさん「さっきカワタさんから、お聞きしました。」

RAPTさん「そうそう。大和族はあの天照じゃん。出雲族はスサノオを拝んだり、大国主(おおくにぬし)を拝んだりするんだけど、国常立尊が一番トップっていうかね、須佐之男とか大国主の先祖っていうか国常立尊っていう位置づけなのよ。だから出雲族の中では一番トップの神っていうかな。で、その下にスサノオや大国主がいるっていう感じなのかな。

まあこの辺覚えておけば、どうだろう。」

カワタさん「この辺を覚えておけば、神社仏閣あとは宗教団体とかその人の発言を見た時に、この人はこれを拝んでいるから、こっち側なんだなってそういう判断がつきます。」

RAPTさん「いまだからそれこそ、youtuberで天照が偉いっていう人がいないんだよ。見たことないじゃん。」

カワタさん&エリカさん「ああー。」

RAPTさん「ね?中田敦彦もスサノオが偉いっていっているわけでしょ、今そんな人ばっかりでしょ。日本のトップの神は天照って習ったじゃん。学校で。なのにスサノオが偉いってなってて、それはそういう争いがある。大和族と出雲族で。で、それだけ天照が偉いっていう人がいないっていうことはそれだけ出雲族が強い力を持っているっていうことよ。

で、中田敦彦があの福田萌と結婚していて、福田萌の実のお父さんが福田康夫の可能性があるって暴かれて、福田康夫の一族は群馬県。群馬県でJAL123便が墜ちたの。で、そこでJAL123便を墜として国常立尊を復活させたっていわれているの。

https://rapt-neo.com/?p=28352(JAL123便墜落事故で死亡した520人は、出雲族の神「国常立尊」を蘇らせるために殺害された可能性大。)

生贄儀式。520人がJAL123便で死んだわけじゃん。で、その520人が生贄にして、国常立尊を復活させたっていうことが暴かれた、RAPT理論で。

それまではそういう宗教的な意味が隠されているっていうことが分からなかった。なんか政治的なことばっかり解明しようとしていて解明できなかったの。で、520人もほんとはもっと死者の数が少なかったっていうか、あんな全員が死ぬわけがないんだよ。結構生き残っていたらしいんだけど。そこにアメリカ軍が墜落したところにさっと飛んで、救助のふりをして、結構殺したっていう噂がある。

520の石仏がその近くにあって、その石仏の数とおんなじ数が死んだって。その520人の石仏っていうのはおそらく何の仏か、何のお墓かっていうのは解明されてないんだけど、そこで昔出雲族が戦って敗れているの。あの場所で。それで、それこそ東北のほうに追いやられたわけ。っていうような歴史があのあたりで起きたわけ。

昔あの群馬のあたりで古墳がいっぱいあったっていうのをカワタが解明してたじゃん、インスタで。」


カワタさん「はい。」

RAPTさん「だからあのあたりに出雲族がずっといたわけよ。古墳を作ってももすごく栄えていたわけよ。で、そこに大和族が乗り込んでいって、殺したわけよ、出雲族を。それで東北のほうに追いやられて、そういう歴史があるから、出雲族にとって群馬ってあんまりいい場所じゃないわけ。でそこで、国常立尊が死んだみたいになっているわけ。スサノオが死んだってなっているわけ。それは出雲族がやられたっていうことよね。」

~対談続く~


悪魔崇拝の歴史、JAL123便についてのお話でした。

こんにちは。久しぶりです。
最近は世界史の本を買ってきて、世の中がどういうふうに進んできたのか、大まかな流れをつかみなおそうとしています。


raptさんのインスタの対談も、最近は更新されていないので、過去の対談を聞き返して、自分もrapt理論の復習をしている、といった感じです。

世界の流れを見ていると、ヨーロッパやインドあたりは、宗教の影響がほんとに大きい、と感じます。

言は神であった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

とヨハネによる福音書にありますが、言葉、つまり考えによって、世界は成り立っている、ということをヒシヒシと感じます。


日本人にとっては馴染みがない宗教ですが、全世界という規模で見渡した場合、相当大きな影響があることがわかります。

raptさんのraptブログ、rapt理論は、ざっくりいうなら、この世の中はサタンを拝む悪魔崇拝者達(イルミナティ)に支配されている、世の中の思想はサタンによって意図的につくられたものである、ということの証明のブログであり、その中で、私達人類がどのように生きるべきなのか?の答えを示すブログです。


raptブログが登場したばかりのときは、悪口や弾圧が激しく、(今もですが)受け入れる人は少なかったと思いますが、今、raptブログの通りだった、ということに人々は気づき出しています。

raptブログを見ました、と直接口に出さなくても、考えが広まっているのです。
それは、真実だからにほかなりません。

世の中は、ほんとに酷い有様です。不平不満を皆抱き、悪、不条理、不正が蔓延っています。終わりのときには愛が冷める、と聖書にありますがそうなっています。

そんな中でも、必死に、真実、幸せ求めて生きようと願う人を神様は待っていらっしゃいます。神を頼るのは弱い人がすることだというのは間違っています。

深く物事を考えれば、一人でまともにこの世の中を生きていくことができないと気づきます。
そんな中で信仰を持つのは、恥ずかしいことではなく、ただ自分の限界に気づいて、へりくだったということであって、その人は誠実で素直な人だと思います。
そういう人がたくさん現れることを願っています。




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