「語生産の誤りに関する考察」

浅学ではあるが、形なりにも言語学を学んでいると脳と言語を巡る課題について学ぶ機会が多い。今回はその中でも特に脳と言葉産出の食い違いに関する事例から始め、最終的には思考は言語によって固定されうるか否かという問いに対して現段階での私なりの見解を述べたいと思う。

1.tongue-tip現象

これは俗に「舌先現象」と呼ばれるもので「喉まで出かかってるんだけどあれはなんだっけ…ほら、あれだよ、あれ」みたいな状況を想定してもらえればわかりやすいかと思う。この事象を詳細に調べていくと話者は大半がその音韻形の全貌はつかんでおり、開始音や音節数まで想起できていること多いことが明らかになった。また、傾向として該当単語における話者の使用頻度が少ないことも認められた。このことから私たちの言語記憶領域は発話機能と直にリンクしておらず、また語の選択には複数の要素が必要となっていると考えられる。従って、語の選出の過程はどのようなものかを次の事象から推察していくことにする

2.Malapropism

言い間違えた言葉が言いたかった言葉と、音韻論的に類似していることが極めて多いことはどんな言語にも広く一般に認められている。これが示唆するのは私たちの言語記憶には音韻論的な分類が関与しており、頻度や状況、文脈によりその選択難易度が左右されるのではないかということだ。そしてこれらの言い間違いが深刻化したものが次に触れる「失語症」である。

3.Motor aphasia

これは「運動性失語」、あるいは「ブローカー失語(Broca's aphasia)」と呼ばれる失語賞の一種である。特徴としては発話時の単語数の減少、極度の調音変化などがあげられ語彙的形態素(etc:S、V)のみで文を成立させようとする傾向がみられる。逆に言えば、機能的形態素(etc:冠詞、前置詞)を欠くことが非常に多いとも言えるため、agrammatism(失文法)とも呼ばれる。

4.Sensory aphasia

「感覚性失語」、通称「Wernicke's aphasia(ウェルニッケ失語)」と呼ばれる症状で、文そのものは流暢であるが内容の意味が付随しないという特徴を持つ。つまりは質問に対して文としては正しいが文脈としては的はずれな解答を返してしまう場合がよく例に上げられる。

3、4から考察するに脳内における発話行動の実行までには、言語記憶から選択、及び文形成のプロセスが少なくとも独立に存在することがわかり、これは私たちが概念として言語化できない存在を既存の語彙に当てはめていく作業として理解出来る。従って私たちの意識は等しく言語化できる次元で表出してくる以上は、言語化可能な範囲でのみ自身の思考が顕在化されるのではないだろうか。つまり私たちが意識する思考は言語化領域という檻に留まり、その周りが言語化不可能な感情などの領域、更にその外部に無意識としての感覚があると推察した。従って豊かな思考にはそれを表す語彙が要求されるのは必然であり、他言語に触れることで新たな表現や理解の可能性が開かれるのもまた自明と言えるのかもしれない、ということに気づく。言語と脳を巡る問いはまだまだブラックボックスであるが、言語処理のプロセスには哲学世界に対する新たな視座を与える可能性が多分に含まれていると直感している。

まだまだ考察の甘い部分もあるかとは思うが、これからの学びの契機としてできる限りの現状をまとめた次第である。



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