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誰もが楽しめる観光 きぬかけの路散策でユニバーサルツーリズムを考える【前編】

編集: 2回生 剱物 真桜

国際観光都市で旅行したい都市ランキングでもつねに上位に入る京都。伝統建築や古い街並みがなによりの魅力であるが、いっぽうでいま注目されている「ユニバーサルツーリズム」という観点で見たときに、そうした魅力は逆にデメリットになってしまう面もあるのではないか?そこでわたしはユニバーサルツーリズムという視点で京都の人気観光地の歩いてみることにした。

今回は、きぬかけの路と龍安寺を取り上げてみたい。龍安寺を訪れた目的は、有名な石庭はもちろんだが、その石庭を視覚障がいを持った人たちにも楽しんでもらえるようにと設置された、縮小模型(レプリカ)を見ることだ。

きっかけは7月の半ばごろ、大学のとあるプロジェクトで障がいを持った学生の修学旅行支援などの学習支援を行っているNPO法人に調査でお話を伺う機会があった。インタビューを担当してくれた方は、支援をすることについて『バリアフリーといった概念が生まれるずっと前に建てられた歴史的建造物には、物理的なバリアは溢れかえっている。けれども、それらは人の力があれば大概どうにかなる。じつはもっとも大きなバリアは、障がいを持っているから学ぶことや観光に出かけることができないと、本人や周囲の人が諦めてしまうことだ』と教えてくれた。わたしにとって、障がい者支援についての認識が大きく変化した調査であった。

そのお話を聞いたときに、龍安寺には視覚障がい者のための石庭が設置されていることを知ったのだった。たしかに考えてみれば「光を観る」と書いて観光というくらいだから、「観る」ことができない視覚障がい者にとって観光が縁遠いものになってしまってはいないだろうか?あらためて考えさせられた。だからこそ、観光を学ぶ者として、ぜひ一度見ておきたいと考えた。


きぬかけの路から龍安寺へ行くのに、わたしは阪急京都本線西院駅よりバスと徒歩で約30分。西大路通りを上って西側に進むと、世界遺産・仁和寺に辿り着く。そしてそこから龍安寺、金閣寺という3つの世界遺産を繋ぐ散策路、きぬかけの路が伸びている。


衣笠山(別名きぬかけ山)という山の麓に伸びる「きぬかけの路」。衣笠山は、平安時代の宇多天皇が真夏に雪景色を見たいと山に白絹を掛け、それが笠のように見えたと伝えられる故事に由来する。きぬかけの路もこの故事にちなんでその名がつけられたのだが、じつは山の由来にはもうひとつ説があるそうだ。

その昔、この山の麓は葬送の地とされていた。白い衣をかけて葬られた亡骸がまるで絹の笠のように見えたことがその名の由来であるという、やや薄気味悪い言い伝えである。当時は火葬でも土葬でもなく、遺体を野に晒して自然に返すという「風葬」が行われていた。または、遺体を鳥に啄ませる「鳥葬」である。だから、山の斜面が白い衣でくるまれた遺体に覆われて笠に見えたという話も、もしかしたら本当であったのかもしれない。

じつは京都では、このような葬送地が街中に多く見られる。「北野」、「蓮台野」、「嵯峨野」「鳥辺野」といった、「野」という漢字が付く地名はすべてそうだ。有名観光地となっている場所もあるが、その周辺は白骨や髑髏が転がっていたという。華々しい印象のある京の都も、探ってみるとこんなに気味の悪い話がいくつも出てくるところが非常に興味深い。いずれにせよ煌びやかで美しい京都の町並みも、背筋がぞっとするような言い伝えも、この地に太古から多くの人々が生きてきた証なのだ。



きぬかけの路はもともと観光道路と呼ばれていたようだ。しかし実際に歩いてみると交通量の多い車道と歩行者との距離が非常に近いことに驚かされた。車で通ることが前提となっているのか、一列でしか歩けないようなこの道は、ユニバーサルツーリズムの観点から言えば課題が多いと言えるだろう。持続可能な観光開発が求められる中で、誰もが楽しめる観光地づくりをすることは必須である。きぬかけの路は、先に述べたような興味深い故事や伝説があり、3つの世界遺産を繋ぐ道なので、京都の新たな魅力として活用できればきっと素敵な観光資源になる。もう少し歩行しやすいように道路を整えれば、仁和寺から金閣寺までの街歩きを誰もが楽しめるようになるのではないだろうか。

(後編に続く)

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