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移住してから気を付けてる5つのこと

東京から島に移住して早3年。メディアに何度か掲載されたり、学校で特別講義で登壇したり、ITやクリエイティブな分野で困ったことがあると呼ばれるようになり、何となく存在を知られるようになった。

僕はこの3年間、気を付けてることがいくつかある。

1.無精髭ははやさない
2.シャカシャカは着ないしスウェットでうろつかない
3.政治的な活動や発言はしないし関わらない
4.自営業者ではなく起業家を意識する
5.根ざすために行動や態度で示す

無精髭をはやさない

田舎の生活や時間の流れに馴染んでくるとだんだんと身だしなみに気を遣わなくなる。それは島に田舎に馴染んでいるとも言える。個人として或いは移住者としては喜ばしい。しかし一方で40名を抱えるギルド組織の創始者であり、クリエイターであり、取引の相手の殆どは島の外に居る。
例えばその取引相手と商談をする際に、無精髭をはやした男が現れたら不安しか感じないだろう。
月の半分は島に居ない。愛媛県内はもちろんだが、広島、岡山、神戸、大阪、和歌山、名古屋、東京とクロージングされればどこでも行く。その準備は日頃からしておかなければならない。
誰も気にしない、自分も気にしない。そういう日常は心地いいし、もっと楽に過ごせるだろう。それが怖いのだ、老け込んでいくようで、一線から退いた隠居のようで怖いのだ。

シャカシャカは着ないしスウェットでうろつかない

東京の人、ITの人、ホームページの人、デザインの人、パソコンの人…島の人は僕をこう称する。つまり何をやってる人なのかイマイチ理解していない。僕も説明するときにどう言えば正確に伝わるのか模索中だ。
無精髭と同様に身だしなみについて、そもそも何をしてるのかわからない余所者が島をうろつき、そいつがシャカシャカした素材のものや部屋着の格好をしていたら怖いと思うだろう。
怪しい余所者と陰で言われるくらいなら、派手な変わり者の方がいい。
見た目が個性的で噂話のネタを探してる高齢者に、話しかけ易いようにキッカケを与えて知ってもらう方が、一気に広がり過ごしやすくなる。
一種のキャラ付け、自身のブランディングをしているのだ。
何かやってくれそうな人と印象付ければ、仕事にもつながるし話題にもなる。
単純にアパレル出身なので、ズボラな恰好では出掛けたくないっていうのもあるし、突発的な取材や公務で呼ばれることもあるので、常にビジネスカジュアルでトレードマークにもなってるボーラーを被っていたりする。ジャージやウィンドブレーカー、町のロゴやキャラ入りの服も着ないと決めている。

政治的な活動や発言はしないし関わらない

移住した年は議会と町長選の年だった。僕は引っ越したばかりで選挙権がなかったので関わっていないが、関わった人は勝ち組と負け組にハッキリと分けられる。誰を応援したか、誰を支持したか、島の人の一大関心事のようだ。今年は改選の年だが未だに前回の選挙で関係を引きずっている。
東京ではそんなことを意識する人は皆無だろうが、田舎あるあるのようで、これが仕事や生活にモロに影響する。
政治と言ってもそんな高度な話ではない。公共事業がどっちに流れるか、誰が贔屓されるか、そういう次元の話で、こう言っちゃなんだが若者は阻害され、より一層、過疎化を加速する政策とは言えないようなレベルの低いものだ。
勿論、意見はあるがそれを口に出して誰かと組するほど愚かではない。あくまで是々非々。強かに、時の政権や役場と繋がっておくのみ。
勿論、出馬要請にも応じないし、誰かの応援にも入らない。選挙活動も一切参加しない。当日、投票するだけ。ただそれだけ。
悪いことは言わない。政治からは距離を置け。

自営業者ではなく起業家を意識する

事業を拡大するため、昨年(2019年8月)島で法人設立を果たしたこともあり、自営業には違いないが、自営業から少しだけ規模が大きくなった。ここでいう、自営業者からの脱却は規模の話ではなく、意識の話。
島には移住者も含めて自営業者が沢山いる。上手くいく者、いかない者、細々と食いつないだり親族の援助を受けながらつなぐ者などさまざまだが、自営業者に共通するのは、大局を見る目や先見性がなく、目先の利益しか考えていない。そういう人が移住定住支援や観光事業、町や島の将来を考える政策やプロジェクトに参加しても成果は得られない。なぜなら経営のプロでもなければ、事業推進のプロでもないからだ。1年でそのプロジェクトは成果が上げられずにとん挫する。
僕は貴重な税金を食いつぶすような存在にはなりたくない。ロキというあだ名は、事業再生や業務改善のプロとして付けてもらった称号。起業家精神で島や町の事業やプロジェクトを成功に導くプロでありたい。
そこを評価されて、島だけではなく、近隣の自治体に呼ばれてアドバイザリーやプロジェクトを任されているのだから。

根ざすために行動や態度で示す

最期の一つ。実はごくごく最近まで具体的な計画は何もなかった。丸3年を迎えた昨年9月(2019年9月)。それまで住んでた古民家に限界を感じてたことや法人化することで状況が一変に代わった。
引越先を探してた時のこと、貸してもいいって家をいくつか回っていた。移住したての新参者には貸してはもらえない。そう考えると、この3年間は無駄じゃなかったって思える。
見て回った家の一つの持ち主が、突然、土地も家もこのままの状態で処分したいから飼ってくれないか?と言い出した。そんな蓄えがないと断ると、評価額の半値以下でいいというのだ。仮に賃貸で家賃を払い続けたとすると、3年程度でペイできる額。これまで住んでた家に比べたら新しいし電化製品も置きっぱなし、部屋数も多いし広い。結論を言うと土地と家を購入することにした。まさか家を買うことになるとは…
家を買うことが決まると1週間しないうちに島中に知れ渡っていた。
今までの家は、ちょっと奥まっていて地元の人も辿り着けないような場所だったが、購入した家はメイン通りと旧道の両方にまたがっていて、いろんな人とすれ違う。そしてここに住むのか?と話しかけられる。ウォーキングの散歩コースにもなっていて、いろんな人と立ち話をし、決まってこういう。

空き家はたくさんあるから若い人が移住して住んでくれるのは嬉しい

3年経ってやっと認められた気がする。別の移住者が同じようなことを言っていた。彼は畑を借りていて、荒れた耕作放棄地をコツコツ耕し、野菜がつくれるようになり、少しずつ知り合いに売れるようになってきた。そんな光景をずっと見てた地元の人が、荒れたみかん畑を譲ってもいいと言ってくれたので、念願だったビニールハウスを建てることにした。すると、周りの人が進んで手伝ってくれて、荒れたみかん畑が売り物になるくらいまでの復活を遂げた。
ビニールハウスを1棟建てるのに100万円くらい掛かるらしい。周囲の人が親切に手伝ってくれたのは、ビニールハウスを建てたいと言ったから。つまり、そこの根差す覚悟を見て取れたからだと言っていた。
確かに、家を買うと知った人は喜んでくれたし、島の人と認められたような気がした。言葉でそう言われたわけでもないし、露骨に態度が変わることはないが何となくそう感じる。
結果的には家を買ったことが、最期の一つに当てはまったのかもしれない。

もう一つやりたい事、やるべき事ができた。
僕と同じように移住したいクリエイターや島でノビノビ制作したいクリエイターを受け入れようと思う。幸い、新しい家は広い。片付ければ2人は下宿させられる。個室でなくていいなら5名くらいまでは可能だ。
そんなモノ好きが居たら男女関係なく連絡して欲しい。

この5つの気を付けていることは言わば誓いのようなもの。僕が勝手にそうしてるだけ。だけどもしかすると、どこの田舎でも通用するかもしれない。移住定住をしたい誰かの参考にでもなればと願っている。

思想は人の間に壁を作り、夢や悩みは人を結びつける
ウージェーヌ・イヨネスコ(フランスの劇作家)

「移住してから気を付けてる5つのこと」ってお話しでした。

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