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自己表現と自己主張の大き過ぎる違い

 自己表現と自己主張はどこが違うのであろうか。

「自ずから(おのずから)」と「自ら(みずから)」という言葉がある。

 わずかな文字の違いしかないが意味は大きく異なる。

 人間と《宇宙》の構造、というものに関係してくる。

 人間とは本来、多層構造であり、高次の世界から、この現実と呼ばれる物質的4次元世界まで貫いて生命活動を展開している存在である、という認識を共有したい。

 その自分という存在全体の、最前線にいるのが普段、自分と思っている意識なのだが、この自分という意識は実在ではなく、非実在の仮想的存在である。

 肉体に搭載された人工知能AIのような擬似意識である、と空不動は説く。

「宇宙と意識」空不動

 その自分とは別に、実在としての高次の《自分》という存在がいて、統合された人間存在としての本来の主体性はこの存在にある、というのが前提になる。

 いわゆる《本当の自分》という存在のことだ。《魂》とも言える。

 この実在における《本当の自分》は《宇宙意識》とフラクタル共鳴状態を維持しており、多元多層の全一の《宇宙》と一体化した《意識》を持つ。

 一方、その《本当の自分》がこの物質的4次元宇宙で生命活動を展開するためのアバターとして創造した〈擬似意識〉のこちらの自分は《宇宙》とのフラクタル共鳴状態を維持できておらず、また本来一体化した統合状態で活動すべきところなのだが、自由意思を持つことが許されていることから、しばしば《本当の自分》の意思に反する思考と行動をとってしまう。

 擬似意識である自分が、《宇宙意識》の分かれとも言える《個別意識》のコントロールから逸脱することで、いわゆる"苦難"という状況が生まれるのだが、同時にそれは「体験」と「フィードバック」という価値をも生み出す。

 自己表現、というのはこの高次の《本当の自分》からの自然なる個性の表現のことである。

 それは《宇宙》とのフラクタル共鳴の中から生まれ、「真善美」という《宇宙意識》の特質を表現している。

 さらに言えば《宇宙》の絶対性、完全性、普遍性を表現し、偉大なる《宇宙》と生命を讃えたものであると言える。

 一方で自己主張というのは、《宇宙》とのフラクタル共鳴を維持していない非実在の物質的価値観の中の特質を表現している。

 全体との調和と共生が成立していないので、分離した立場からの自己正当化のエネルギーを発している。

 玉石混交である。

素晴らしいものもあるが、そうでないものもある。

 なかにはまったく《宇宙》の特質を表現しておらず独善的醜悪さを主張しているものもある。

 こちらの自分の努力としてできるのは、《本当の自分》とフラクタル共鳴を回復することである。

それは"祈り"である。

 こちらの自分から、高次の世界の自分に波長を合わせて一体化を求めることができる。

 もともと一つの存在なのだから、こちらが願えばそれは叶う。

 望まないから叶わないのだ。

"祈り"を大切にしよう。
《本当の自分》があなたを通じて、
"自己表現"をし始めるだろう。

 《人類愛の祈り》

 私達人類の進歩と調和が成就されますように、すべては《超越人格》の愛の導きなのです。
《超越人格》様ありがとうございます。

私達人類の進歩と調和が成就されます。
私達はすでに一つなのです。
皆さまありがとうございます。

私達のネットワークは私達に
そして私達人類に大きな進歩と調和をもたらす
ものであります。


(*超越人格、のところはあなたの信じる存在の名前に置き換えて祈っていただいて構いません。)

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