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【薬物エッセイ】教養のある人は教養のある幻覚を見るか?

「教養のある人は教養のある幻覚を見るか?」
これは幻覚剤ファンの間でもよく行われる議論で、今回の記事では、この問いに対して私なりの考えを示してみようかと思います。

まず「教養のある幻覚」とは何か?という事ですが、『教養』を辞書で引くと

* ㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
* ㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養」

とあります。
次に『幻覚』を辞書で引くと

幻覚(げんかく、英語: hallucination)とは、医学(とくに精神医学)用語の一つで、対象なき知覚、すなわち「実際には外界からの入力がない感覚を体験してしまう症状」をさす。聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの幻覚も含むが、幻視の意味で使用されることもある。

とあります。
つまり、「学問・芸術・文化に対する深い知識」が空想的に「知覚」できれば、それは『教養のある幻覚』として成立してると言えます。

では、教養のある幻覚の実例エピソードを、デヴィッド・J・リンデン『快感回路』の中からひとつ紹介したいと思います。笑えるので是非お読み頂きたいです。

それは大学の学期末最後の週で、二人の友人がLSDを飲むから「見守って」いてくれと頼んできたのだ。一人(ネッド)は最後の試験を終えたばかりで、肩の重荷がすっかりおりたように感じていた。もう一人(フレッド)は数日後に最後の試験、それも苦手な物理の試験を残していた。ネッドとフレッドは同じ量のLSDを飲み、ピンク・フロイドのレコード(なにしろ一九七八年のことだ)をかけ、ソファーに腰を落ち着けてトリップを始めた。ネッドは典型的なハッピートリップだった。天井に移りゆく色を眺めながら笑い、至福のひとときを過ごしていた。反対にフレッドは地獄を味わっていた。フレッドは最初黙り込み、それからひどく妄想的になった。しばらくすると泣き始め、のたうち回り、物理公式やらキルヒホッフの法則やら、どうしても弱い核力が理解できないことやらをわめき立てた。妄想の中でニールス・ボーアの化け物が牙から血をしたたらせながら襲ってきたという。典型的なバッドトリップで、その後フレッドは二度とLSDに手を出さなかった。

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牙から血を滴らせながら襲ってくるニールス・ボーア。

ニールス・ボーアと言えば、量子力学の確立に多大な貢献をした物理学者で、“一般的”な義務教育を少し進んだところで出てくると思われますから、これは『教養のある人』が見た『教養のある幻覚』としての要件を満たしている、と言えるでしょう。

しかし、牙から血を滴らせながら襲ってくるニールス・ボーアの幻覚が教養であるか問われたら、私は答えに窮します。

その他に有名な科学者の幻覚体験を挙げると、昨今話題のPCR法を確立したキャリー・マリス博士がBBCの幻覚剤ドキュメンタリーの中で「LSDを使ってなかったらPCR法を発見出来たか疑わしい」と語っていたり、DNAの二重らせん構造を発見したフランシス・クリック博士がLSDにインスピレーションを受けていたりと、枚挙にいとまがありません。

しかし、教養のある人が常に教養のある幻覚を見るか?と言えばそうではないと思いますし、教養のある人も、学問・芸術・文化に関連しない幻覚を見ることはあるでしょう。
そもそも『教養のある幻覚』という問い自体がフワフワしていて、何かハッキリ規定できるものでは無いと感じます。

ただ一つ、確実なものとして言えるのは「自分の知識以上の幻覚が見えることは無い」ということで、つまり、全く新しいように見えても、それは今まで自分が培ってきた知識の断片を組み合わせた肖像、もしくは既存の知識の再検討のようなもので、外部から特別な情報が入ってくる訳ではないと思います。

結論

牙から血を滴らせながら襲ってくるニールス・ボーアの幻覚を教養と呼ぶかどうかによる。

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皆さんはどう思われますか?
最後までお読み頂きありがとうございました。

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