見出し画像

【エッセイの勉強】人の数だけの正義

よく、国や文化、人の数だけ真実はあり、正義はあると思っていました。でも、わかっていても自分がいざ、その制裁にあうと自分の正義を押しつけて相手を断罪していると気づきました。

きっかけは夕方の母との会話。母は一昨年、仕事を辞めて手術を受けままならぬ体の下、私のサポートをしてくれています。その母が、他人の食事を作るのが嫌だ、と言い始めました。

昔は、バリバリ働き、家事をし、いい給料をもらって忙しいながらも自分の領域で生きていました。

ところが、体にがたが来て、首の手術を受けました。仕事も退職して。治るはずのしびれは治らず、痛みもあり、また再就職したくてもできない。そして父亡き後は、年金と保険金で慎ましやかな生活を送らないといけなくなりました。

そんな中、母は私の朝、昼、晩の食事を作るのが嫌になってきます。この間もお昼ぐらい自分で作ってと言って寝込みました。言い方にむかっときましたが、そうめんを食べて適当にしてました。

そして、今日もなんであんたの三食つくらなあかんねん、という体の言葉。私は今、座骨神経痛で足が痛くて歩くのが難しいです。そん中、仕事に行って帰ってきているので、亡き父なら「よくやった」と褒美をくれるほどだと思ってました。なので母の態度にむかっときて自室で悲しくて泣いていました。でも、そこでふと思ったのです。母に私の「こうあるべき」を押しつけてはいないか、と。

「母は暇なんだから三食作って当たり前」と思ってました。でも、母は食べたい物も食べれず、フラストレーションをためています。私は牛肉が嫌い。母は大好き。買ってくればいいものを、買わずにあんたにあわせてやってるという感じです。もっとも、牛肉は高くて今の生活では買うのが難しいのです。なんせ、私は父の死後、自律神経失調症で、仕事に行けなくなりました。あちこちが傷むのです。最初は不眠。そこから胃腸痛、頭痛、最後に座骨神経痛。痛み止めが手放せません。週三日でこなしていますが、よく休むので前みたいに家にお金を入れる余裕がありません。最近、月二回、週四を入れ込んで調整しています。もう少しで週四が定着するところです。そこへのまさかの歩けない体になる、という所。でも母にして見れば、ずっと体中がしびれて痛い、という病状から比べれば軽いのです。眠れないほど痛むのですが、それでもがんばったとは言いません。あくまでも自分軸の範囲でこれぐらい当たり前、なのです。母の正義を押しつけられて心は傷ついていますが、私は私の正義を押しつけようとしていました。

その事に気づけば怒りは収まりました。一応ふて寝という境遇をしてからですが。気づいてもなかなか悲しい気持ちは消えませんでしたので。一度、心を客観性をもてる空白の時間が必要でした。

でも、いらだちは覚えつつも可哀想な人、と思います。自分はもう変えられないからあなたが変わってとも言われているし、自分の正義を押しつけているのをわかっていながらもそれを止めることができない。

私は私の感覚で断罪するのを辞めました。あの人にはあの人なりの考えがあるのだろう、と。仕事ができないのがつらいのだろう、と。生きがいだった仕事。それができなくなって、本来なら父と色んな所へ行って人生を楽しむ所でした。でも父は一年間の闘病の後、あっさりと逝ってしまいました。あちこち行きたいところがあったようです。でも、それも叶わない。妹と旅行へは行きますが、私と妹の仲が異常に悪いため、普段から妹は実家に寄りつきません。一緒に住んで、あちこち行きたい、というのが本音です。残っている娘が出来損ないの障害者。車を持つこともなく病気になってしまったので、母は自力で歩いて買い物やらいかないといけません。そして家にも私がまだリハビリ中で家にお金を入れるほど収入がないため、それもイライラしてるようです。仕事の態度が気に入らないのです。

私は私で、クレジットの返済に奔走してるし、交通費や高い医療費も自分で払っています。そこまでしても家に入らない、と嘆かれます。段々家にお金を入れるのが嫌になっている私です。入れて当たり前。三万ぐらいいれてよ、という気持ちが飛んできます。父の死後、クレジットを使い倒してそれどころではありません。父が生きていればカード類は父の管轄でお金に余裕があったでしょう。決してクレジットを使わせませんし、収入の通帳も見せないといけませんでした。息苦しい仕事のお金の使い方だったと思います。

趣味も制限されていたでしょう。

ある意味、父が死んで自立という事が目の前にぶら下がってきてああだこうだと言いながらやって来ています。

週に一度の休日に夕食を作ることもしています。それでも不満なのが母なのです。可哀想な人、だと思います。自分の感覚でしか対することができない人だから。

私は私で自分の感覚で対していましたが、今回の件でまた1つ気づくことができました。~してくれない。~するべきだ。この感覚を母に押しつけていたと気づきました。アンガーマネジメントでも言われていることですが、~すべきだ、と思っていることが行われないと人は怒りを覚えます。私はつらさや悲しさでしたが。母は病人。朝、昼、夕と食事を作る必要はないのです。自分で調達しようと今思ってます。この事は前にもあり、それで一日三食自分で作っていたのですが母が、しんどいだろうから週に数回でいいと言い出したのです。それで日曜日だけ料理をしていたのですが、また振り出し。

明日は、奇しくも母の日。母の日に何を作ろうかとレシピアプリを見ていました。それをこなす気力も一度はなくなりましたが、母のためと言うより料理に親しむという目的の下でするつもりです。母の日の、お母さんありがとうという気持ちは片隅ではあるものの、今は感じられません。先ほどは夕食も作ってくれ、と言わんばかりに言われていたので。無理矢理起きた、と不機嫌でしたから。寝起きは機嫌悪い、と言っていましたが、八つ当たりされてあまり落ち着きません。

母ともめたときは関係が近いときというのが主治医の定説です。なので、また近寄ってしまったのだろうか、と考えます。いつも通りに話していただけなのですが。

仕事後の昼食は率先して作るのに、休みの日の昼食は作るのがいやなのです。おさんどんしている、と嘆くので。人のために生きるのがいやなのです。自分の幸せだけを追求していたい。そんな気持ちが見え隠れしています。そこがまた、イラっと来る所なのですが、私も同じなので強くは言えません。

少なくとも私は褒められるほど仕事を頑張り、母にずっと話かけることなくそっとしておきました。それのどこが気に入らないのかわかりません。

構って欲しかったのでしょうか? そうすればそうするほど嫌味を言ってくるのですが。母の気持ちはわかりません。私は一時母を思慕してたまりませんでしたが、今はそうではありません。子供の頃からの扱われようで、心は母を嫌っています。ネグレクトに近いことをされたので。手で頬を叩く、目覚まし時計を投げつける。などなど、虐待の数々を受けてきて今は、もう父のところに早く行きたいだけです。警察に家出したいんですけど、と言いたくてたまりませんでした。家出するだけのお金もないのでどこかの住み込みに行くしかないんです。でも、今の仕事があってるし、大好きだし、当分、移住も何もかもできません。職業病で座骨神経痛になってでもしたい仕事です。

なので、イヤイヤでも母と一緒に住まないといけません。母の正義を受け入れ、過ごしていくしかないのでしょう。

それが、今、私にできる客観性です。

とりあえず、昼食は作らなくていい、と言ってきます。夕食は、明日は母の日だから作ると言って。これからは朝はバタバタしているので頼るかもしれませんが、昼と夜は自分で作ることとします。別々の食事をすればいいんです。とにかく。それが母のテリトリーを侵さない方法です。

それを伝えに行ってきます。

その後の事は明日にでも書きますね。長い文章読んで下さってありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?