優しい言葉だけでは命は救えない

プロレスラー・木村花さんの訃報がネットで大きな話題となっている。現在死因は公表されていないが、日頃からネットで誹謗中傷を受けていたことや、亡くなる直前の彼女のSNSの投稿から、ネットでの誹謗中傷による自殺では?と言われている。不勉強で木村さんのことを存じ上げていなかったため、今回の件については静観していようと思っていたのだが、とあるツイートを目にして、久々にnoteを更新しようと決意した。以下、わたしの独り言だと思って聞いて欲しい。


とあるアスリートへのリプライの形で送られたそのメッセージを要約すると「もっと生前から優しい言葉をかけてあげていれば、こんなことにはならなかった」というものだった。


5年前のわたしなら「そうかもね」と思ったかもしれない。しかし、3年前に大切な仲間を自死で亡くしたわたしには、どうしてもその考えに「待った」をかけたいのだ。


確かに優しい言葉は大切である。

優しい言葉に救われることもたくさんある。


だけど、現実は残酷だから、100の優しい言葉に、たった1の心無い言葉が勝ってしまうことがあるのである。現に亡くなった仲間には、愚痴を聞いてくれる優しい家族もいたし、弱音を吐ける優しい友達も羨ましいほどたくさんいた。それでも、それらをもってしても凌ぐことが出来ないほどの苦しみが襲ったのである。


例えるなら、

優しい言葉は絆創膏

心無い言葉はナイフ。


出来てしまった傷が浅ければ、1枚の絆創膏でも傷を癒すことができる。だけど、もしそのナイフが身体の、心の、奥深くまでぐさりと刺さったら、いくら絆創膏があっても、その傷は決して癒えることはない。


しかも、(かつてのわたしがそうだったけど)あまりに追い込まれると、誰のどんな優しい言葉であっても、それを素直に信じることができず、拒絶してしまう場合だってあるのだ。


優しい言葉は確かに大切である一方で、その人を傷付るナイフを減らさない限り、状況は好転しないのだと思う。


いまわたしが最も怖いと思うのは、ナイフを突きつけてるひとたちが、自分が誰かにナイフを突きつけてる自覚がないこと。そして、ナイフを突きつけているひとに、また別の誰かがナイフを突きつけていることである。


今回の件で「誹謗中傷なんか無視すればいい」って意見も散見されたけど、誹謗中傷という行為そのものに目を向けるべきであって、いま誹謗中傷に遭っているひとが無視出来たところで、根本的解決にはならないのである。


いまこの瞬間誰かに「死ね」ってリプを送っている誰かさんも、これを書いているわたしも、これを読んでいるあなたも、出しているかしまっているかの差はあれど、みんなナイフを持っているのだと思う。

ナイフを持っていることを決して忘れないように、そのナイフで誰かをぐさりと刺してしまうことが決してないように、そんな風に過ごせたらいいなぁと思う。

#エッセイ #コラム

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