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ジョセフィン・デッカー Shirley シャーリイ (2019) あたしの声を聞いてほしい

2022、1時間47分、1.85:1
監督:ジョセフィン・デッカー
脚本:サラ・ビギンズ
原作:スーザン・カリフ・メレル『Shirley: A Novel』
出演:エリザベス・モス、マイケル・スタールバーグ、オデッサ・ヤング、ローガン・ラーマン

1948年、短編小説「くじ」で一大センセーションを巻き起こしたシャーリイは、女子大生行方不明事件を題材にした新作長編に取り組むもスランプに陥っていた。大学教授の夫スタンリーは引きこもって寝てばかりいるシャーリイを執筆へ向かわせようとするが上手くいかず、移住を計画している若い夫妻フレッドとローズを自宅に居候させて彼女の世話や家事を任せることに。当初は他人との共同生活を嫌がるシャーリイだったが、懲りずに自分の世話を焼くローズの姿から執筆のインスピレーションを得るようになる。一方、ローズはシャーリイの魔女的なカリスマ性にひかれ、2人の間には奇妙な絆が芽生え始める。

映画.com https://eiga.com/movie/101309/

大好きだった。怪奇作家シャーリイ・ジャクスンが初期長編傑作『絞首人』を描くまでの過程を伝記要素とフィクションを織り交ぜて描いた『Shirley: A novel』原作の映画化ということだった。痛みや混乱は、ほんもののように思えたし、この世界のことを理解し生き延びるための自己発見があまりにも苦痛を伴うものであることを描いてくれていて、見たことのないものなのにどことなく共感もしてしまうような気がする。その混乱する世界はゾッとすると同時に気がついたらギュッとこころを掴まれていた。(書く女はいつだって狂人か魔女とされるのだ!でも魔女であることがどうして悪いことなんだろう)

★あたしの声を聞いてほしい。でも"あたしの"ほんとうのこえはどこに行ったんだろう?

シャーリイという人物の複雑さを体現するように、映画自体も複雑だった。ジャクスンの小説世界に迷い込んだかのように、幻想と現実の世界を自由自在に行き来する映像と起伏の激しい予測不可能な作家像は、肥大化する自己の深淵を見せつけられ、つかのま彼女の心理世界を疑似体験させてくれる。女性同士のエロティックな欲望、秘密の共有、(ローズを主人公と見ると)若い女性の痛みを伴う自己覚醒の過程を見せられていくようだ。この男権的な世界で正気でいることが狂気と同義であるような世界で、女として生きていくには残酷なこの世界で、狂ってしまうこと自体を肯定する。実在したポーラはもしかしたらもう死んでしまっているに違いないが、でもあたしたちにはフィクションがある。それは痛みを伴うものだけれど、シャーリイとローズ(そして大勢の「気づいて欲しい」と思っている女の子たち)がポーラが経験できなかった未来を生きるために書かれていくように書かれたように思える。(といっても、子を産んだローズを通して、ポーラが経験しなかった別の種類の地獄を描いている。それぐらい現実は難しい。)


★以下、ネタバレ(?)★
シャーリイが唐突にはじめるタロット占いのスリーカードは吊られた男が3枚だった。これはローズの過去・現在・未来を暗示する内容であると同時に、シャーリイのものでもあるようだ。大学につとめ、ほとんど家に帰ってこない男たちは家事労働を女たちに押し付け、いつまでも"家"に縛り付けられた女たちは、それでも視点をなんとか変えて生き延びようとする(アニエス・ヴァルダが子育てのあいだ、家からコードが届く範囲で撮影した『ダゲール街の人々』を思い出す。/制約のあるなかでなんとかやっていく方法を見つけ出す)。実在の失踪事件に着想を得た小説を書こうとしていたシャーリイは、なぜ少女が失踪したのかという心理を分からずにいたけれど、その答えをローズのなかに見る。そしてそれは、自分のなかにもあるものだったと気づく。声はいつのまにか所在をなくし、奥深くにしまいこまれ、しまいこまれたことすらも忘れられて、そしてローズの出現でシャーリイは声を取り戻すのだ(ジャクスンの小説世界で多用される分身のように、ローズはシャーリイの分身のような役割をしているようだった。冒頭、ベッドルームのなかにいるシャーリイのカットのあとに列車の音が被されて、「くじ」を読むローズが映し出されるところとかも)。それはタロットが示すように過酷なもので痛みを伴うものでもあり、壊さないといけないものなのだ(『絞首人』の主人公ナタリーがトニーの出現で蓋をした恐怖にむきあわなければならなくなったように)。



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