「粋」にいきたい

 ここのところ、最近の中国の動向を知れば知るほど空恐ろしくなる動画をちらほら観ていて、特にウイグル人はまるでナチス下のユダヤ人!誰か中国をどうにかしてくれ〜とすがりたいのに、一体どこの誰に?!という袋小路に差し掛かってもやもやしてます。
 中国についてのわたしがちょこっとかじった事について、ここに書く事によって少しでも世界の誰かに知ってもらえるのも大事な事だから、そのうちメモがてら思ったことなども書いてみたいけれど、今日は久しぶりに気分が少しだけ上がる日本の昔のドキュメンタリーを観たので、思ったことなどをとりとめなく…….。

 ドキュメンタリーの内容は日本人の「粋」について。江戸時代の町民文化の様子や着物、髪型などについてを浮世絵の中に描かれた描写から解説していくというもの。
 流行り廃りなんて言葉があるけれど、都に住んでいる日本人は昔から美意識に対して好奇心旺盛だったと思う。だからこそ、誰かが奇抜な格好をすればそれを真似るかのような人が続出し、そこからまた新しいものが生まれ流れていく。江戸文化はそのいわゆるオシャレ、流行り、そういったものが町民レベルにまで浸透していて、トレンドの中心にいたのは歌舞伎役者や遊郭の遊女であったそうだ。なんと歌舞伎にいたっては、「女房に観せたら三食抜いてでもまた観に行きたいという」ほど圧倒的人気だったそうだ。当時の歌舞伎座の中の様子を描いた浮世絵がまたおもしろい。上の方の席は身分の高い人が座を占め、枡席には御膳にタイのおかしらを持った皿を運ぶ人がいたり、立ち見席ではぎゅうぎゅう詰めの人がやんやと騒ぎ、その喧騒と熱気を想像するだけで江戸の活気が体感できるよう。わたしは歌舞伎、オペラは苦手としているのだけど、こんなどんちゃん騒ぎな歌舞伎なら観たいかもなぁ、なんて思った。または誰かこういう江戸の歌舞伎体験できる映画とか作ってくれたらなぁとか、ね。
 性に関して日本の文化は古くからわりと奔放であると思うけれど、江戸の吉原に遊郭を作ったのもまたこういったある意味おおらかな部分でもって成り立っていたのでは、とも思う。何せ吉原は、武士と同じように裕福になった町民の遊び場だったそうなのだから。そしてこういったところに遊びに来る人は皆とても粋で町人であるがゆえに人情味もあり、通人と呼ばれたそうだ。通という言葉はまさにこの吉原で生まれたらしい。しかも吉原で一番の高級遊女(太夫)は江戸の女性の憧れだったとか、いやぁ、売春は人類で一番古い職種と言われているけれど、いろんな意味で奥が深いなぁ。
 遊女の衣装は宝石のような価値があり、派手な衣装を着てはいけないというおふれが出た時以降は裏地に錦糸のあつらえをし、飽くなきオシャレへの追求は止まるところを知らない。その他、よく時代劇でみる髷(まげ)という髪型がまたこりに凝っていて、これも当時の流行りは有名な遊女の髷だったそうだ。
 浮世絵で見る着物の柄でも、小紋や格子柄の組み合わせなどで当時の流行りや、その人の人柄が垣間見れるようであると言っていて、あぁなるほどなと思った。ほんの一昔前まで着るものは全て自分で(または誰かに頼んで)仕立てていたのだから、確かに着ているものによってどんな人かわかるよね。しかも大事に作って、大事に着て……、現在では失われてしまった感覚に溢れていた世界、いいですねぇ(うっとりため息)、その一言につきます。

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