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暑熱

 今から数年前、高校2年生の夏休み。クソみたいな暑さを背負いながら、数学検定を受けにクソみたいな高校へと足を運んだ。ただでさえ補講で頻繁に通っているというのに、どうして意味のわからない検定を受けに行ったのか、自分でも謎だった。いや、当時は何かをやっていないとどうにも生きている心地がしなくて、結局のところあの夏の蒸し暑さの様にうざったい何かから逃れるために、模試で一番点数の高かった数学を利用しようとしただけなのかもしれない。

 検定の帰り道、電車に乗っていると窓からまるで全てを問い詰めるように酷烈な顔をした光が、もう今すぐにでもここから飛び降りてやろうかというくらいダルンダルンになってしまっていた私を、少しの遠慮もすることなく突き刺した。コンビニで適当に2000円くらいで買ったイヤホンのコードはぐちゃぐちゃ団子になっていて、そいつは割と大きめの音量で「夏を待っていました」なんて言う。

 そんな、なんてことない断片的な記憶が、いつまでも私の中にある。

 高校時代から使っている路線は、もう見なれてしまっていて、飽きさえ感じさせる。一時間に一本、しかも昼間はワンマン列車が当たり前といった具合で、"ローカル線"という言葉がよく似合う。そのくせ、通勤通学時間には終点付近になるとかなり混雑するからすっきりしない。
 自分はこの乗ると必ず腰が痛くなる列車から、あとどのくらいあのつまんない風景を見られるのだろうか。たまに、そう考えてしまう。

 そういえば、この時期の私はマスクをしないと外に出れないくらいに、マスクに依存していた。もちろん、どれだけ暑かろうが、外に出るには必須だった。今になってみると、不思議である。


2020/08/06

 新型ウイルスの影響で、大学への登校頻度が激減して早数ヶ月。こんな状況下においても、たまに乗るあのローカル線は、そこだけ以前から何も変わらないかのように、社会人・学生を乗せて長い一本道を動いている。いや、流石に人は少なくなっているか。それに全員が全員マスクをしている。このクソ暑い中。マスク依存症からやっとの思いで抜け出した私も、これでは逆戻りではないか。新型ウイルスが過ぎ去った後の世界でも、中々外せそうもない。

 こう、些細な変化が重なって、いつの間にか、私が知らないうちに、大きく変わっていくのかもしれない。大学3年目の現在、私は未だこのローカル線を使い続けているが、いつか全く使わなくなる瞬間が訪れたときに、そして、久しぶりに使う瞬間が訪れたときに、“変化”を感じ取れるようになっていたい。あの建物が無くなって、新しいお店ができて、なんて、そういう変化を。


2021/07/11


 ふと下書きを見るとこんな文章があった。確か途中で飽きたんだ。こんなもの誰が読むのかと。しかし、ある意味この時点でこの下書きを見つけたのはいい機会だと思った。私は就職のために実家を出る。来年の話だ。実際はすぐ帰れる距離ではあるし、帰省時には例のローカル線を使うはずだ。そこまで変わるわけではない。が、どうも学生だった頃に感じていたモノを失ってしまう気がしてしょうがない。

覚えたことが 沢山増えて
忘れたことも 沢山増えて
バスに揺られながら見ていた
君はカメラで何を撮る
/ 米津玄師「恋と病熱」より

 去年からカメラを始めたのも、結局のところは変化を保存しておくためなのかもしれない。いつ、どこに、なにがあったのか(物理的な面でも、思い出的な面でも)をいつでも思い出せるように。人間とは、忘れたいことと覚えておきたいこと、どちらとも多い、とても面倒くさい生き物だ。



 そういうわけで、この下書きの延長線上のモヤモヤをここで供養する。誰が得をするんだ一体。

 この雨が明けたら本格的に夏っすネ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。暑いのは嫌だけど一眼レフを買ったことだし、実は結構楽しみ。

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