私とMinecraftについて

 講義でMinecraft、所謂マイクラの話が出て、私とマイクラの出会いについてを無性に書きたくなった。

 今や説明の必要がないくらいに大きくなったマイクラだが、私がこのゲームに出会ったのは今からもう7年程前になるのか、2012年当時、中学1年生も終わろうとしていたのだけれども、正直学校が苦痛で仕方なかった。つまらない勉強に、どうでもいい対人関係。同級生だった人ならわかるだろうけど、私はほとんど学校に行っていなかった。家でぼーっと本を読んだり、買ってもらったばかりのiPod touchでYouTubeの動画を垂れ流しにしていたりと、碌でもない生活を送っていた。
 そんな生活を続けていると、とある日、母がどうやら実質無料のタブレットを購入したらしく、大きな荷物を抱えて帰ってきたのだ。当然のように私は、大きい画面でYouTubeが見れると嬉しくなった。

 そうして、更に怠惰的生活を続けていると(と言ってもこの辺りからは登校は割とするようになってはいた)、一本の動画を見つけたのだ。「Minecraft」という見慣れないゲーム名だった。超有名玩具、LEGOブロックで作られたような世界で、自分だけの家を建築したり、敵と戦ったり、広大な世界を探検していく……。そんな世界に、現実世界では何をしたらよいのか自分でもわからない不安定な私は、一瞬で引き込まれてしまったのだった。これが、マイクラとのファーストコンタクトであると言って良いだろう。 
 このとんでもなく面白そうなゲームをやりたくなった私は、すぐさまGoogle Play Storeで検索した。そこには有料の文字。お小遣いも貰っていなかったためお金なんて無い中学時代を過していた私にとっては、たとえ600円前後のゲームひとつにもラスボス並の威圧を感じる。仕方なく、制限ありと明記されていた、今は亡きDemo版をDLすることにしたのだった。

 Demo版は本当に何もすることがなくて、セーブができないから建築要素はほぼ無。ゾンビ&スケルトンから逃げるだけで、家なんて地下を掘るだけ。思っていたマイクラと全然違っていて、少し残念に思った。
きっと製品版を買えば、あの動画のように遊べるはずだと考えた私は、早速600円を集めることにしたのだ。

 買ったのは決心してから2ヶ月後くらいだったか、製品版を買ったら何を作るかを考えることが日常の楽しみとなっていて、毎日のように通うようになった学校でも、ずっとマイクラのことばかり考えていた。運命の時、600円を渡しながら代行クレジット決済を親に頼んで、やっと夢の塊を手にした。……と思っていたのだけれど、その夢はあっけなく崩れ去ることになる。

 当時、スマートフォン/タブレット向けに開発されていた「Minecraft Pocket Edition(マイクラPE)」は、バージョン0.6.4(曖昧)だった。
Demo版と同じく256×256(ブロック)の有限ワールドで生成され、ネザーは簡易的でおまけ要素にしか過ぎなくて、楽しみにしていた洞窟は生成されることすらなかった。
 結局、ブロックの種類が増えようとも、根本的にはDemo版との代わりがない状態。期待していたものとの違いに失望しかない。特にPC版ではMODというユーザーが作る追加要素も充実していて、それも遺憾に思った理由の一つである。

 しかし、そんな中でもセーブができるというのは不幸中の幸いで、なんだかんだで楽しめたわけだ。
 それからも、限られた世界を味わう方法を探してゆき、動画で見るPC版の世界と同レベルの面白い経験をしてきた。例えば、配布マップを入れるためにファイルの構成を調べたり、更に発展して、少ないながらも出回っていたちょっとしたMODを導入してみたりと、ゲームを通して雑学的な知識が少しずつ増えていく。その工程がなんだか楽しかったりするのだ。

 それだけではない。Twitterでマイクラについて呟くうちに、ネット上での知り合いが増えてゆき、いつしかつまらなかった日常は、マイクラのおかげで徐々に華やかになっていった。
 まあマイクラだけではなくて、よくパクリアプリだって言われていたSurvivalcraftというゲームも、私にとっては大切だったりするのだけれど、その話はまた今度。

 さて、そういった日常を過ごしていくうちに、ついにその日が来てしまったのだ。
 あれは確か、バージョン0.9.Xアップデート。全クラフター待望の「無限ワールド」が、私の手の中に収まっていた箱庭世界を大きく変えた。どこまで歩こうとも続いてゆく世界。今まで、私が文句を言いながらでも創り上げてきた世界は、私が来るべきこの日のために備えていたはずのいつもの世界は、僕を救ってくれたちっぽけな世界は、もうどこにも存在していなかったのだ。

 それは私が、私達プレイヤー全員が望んだものだった。けれどそれは、想像を遥かに超えるものだった。

 あまりにも広大すぎたのだ、私にとっては。

 それからのことはあまり覚えていない。その後もずっと、変わってしまった世界で相も変わらずブロックを掘っていたはずだ。
 やがて私はなんとか高校生になり、Vita版マイクラを購入する。それと同じ時期に、念願だったPC版も。

 それは楽しかった。楽しかったんだ。

 ネットを見ると、未だにあのゲームをやっている者、今はもうクラフターを引退し、全然別物のゲームをやっている者。中には中身がいなくなってしまい、定期ツイートを呟くだけの凍ったアカウントまであった。
私は今でも――あの頃よりはやる時間は減ったけれど――プレイしているんだよ。そう呟きたかった。

 そうして今に至る。どうやら、Pocket Editionという概念は消滅し、スマホ版でもMinecraftと表記されているみたいだ。もう2〜3年はインストールしていないわけだから知らなくて当たり前だ。
 PC版の方では、時々起動しては何かしらをやったりしている。MODもちょくちょく入れたりして。

 それでも、私は実感するのだ。あの頃の、256×256のとても小さな世界で過ごした時間に有った熱量は、もうどこにも無いのだと。

 私はMinecraftが好きだ。けれど、1番好きなのは、あの箱庭世界で過ごした、不自由ながらも自分で楽しみを考え、実行していた日々だった。

 それを思い出すたびに、心の隅で「あの頃のMinecraft PEに戻りたい」と思ってしまう。

 そんな私は、愚かなのだろうか?





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