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四季 #4

 いつの間にか年末年始はTwitterやLINEなどのインターネット上で過ごすことが増えた。
 年末とはクリスマスからの流れで人々の気分も浮きがちである。冬休み、年末休みもあるから余計に。そういう私も年末はソワソワしてしまう。ただ年を越すだけのはずなのに、世間に漂う「年末感」につい乗せられてしまう。
 毎年決まって、去年の年末は何をしていたのだろう? と考えてみるが、毎年紅白を観ながらTwitterに張り付いている場面しか思い出せない。幸いにもTwitterには同じような人々が沢山いる。実際に顔を見なくても文章だけでその人々のテンション具合が容易に想像できる。多分私の呟きも他人から見れば同じように見えているに違いない。私はそんな空間がなんだかんだで好きだったりする──

 Twitterで、SNSでそれなりの時間を過ごしてきた自信はある。最初に作ったアカウントはMinecraftの建築物を共有するために利用していたはずなのに、いつの間にか日常生活を呟くために利用していた。多分これが一番続いたアカウントだと思う。中学〜高校の終わりまで何かしらを呟いていたなんて……。Minecraft関係で知り合ったインターネットフレンズも、1、2年前までは何人かとは交流があったはずなのだけれど、今ではもう1人も生き残っていない。同じ臭いがすると思っていた人も気がつけば結婚していたり、また頭がおかしいと感じていた同い年の人は、留年して勉強を頑張っていた。またある人は絵の道を進み、今ではフォロワー数十万人という大人気絵師になっていた(流石に私もびっくりした)。私にフジファブリックを教えてくれた人に至っては、なぜかブロ解で縁が切れてしまった。ああ、同じ空を見上げているよ……。勿体無いなと思ったけれど、もうこのアカウントは完全に消してしまっている。
 2つ目に作ったアカウントは高校3年生の頃、音楽関連のことを呟くために作成した。このアカウントも削除済みなのであるが、ここで知り合い、現在でも交流が続いている友人がいる。そう考えると、インターネット上で知り合った人の中で、今も交流が続いている最古の友人とは彼のことなのではないだろうか。
 3つ目、これは大学用アカウントのつもりで作ったらいつの間にか音楽のことばかり呟いていたものである。今になって思えば、1、2こ目のアカウントは遠い昔の出来事で、もはや他人のことのようである。それに対して、3つ目のアカウントのことはよく覚えている。だって最近のことだし……。ここで現在仲良くしてもらっている多くの人々に出会った。個性強めな人々だけれど、インターネットがなければ出会えなかった人々であることは確かで、とても感謝している。後SNSの使い方をよーく学んだアカウントでもある。初期の呟きなんて恥ずかしくて見れやしない……。

 Twitterのことはあんまり好きじゃないしできることなら今すぐやめたいけれど、Twitterがあったからこその出会いが存在するからあまり悪くは言えない。あんまり好きじゃないし、Space機能は邪魔だし、なんだけれど。

 最近はよく呟く前に考える。これを呟いて意味があるのだろうか、これを呟いて傷つく人がいるのではないだろうかと。どの口が言っているのか、でもつい考えてしまう。

 Twitterなどの情報拡散型サービスはポジティブな投稿より、ネガティブな投稿の方が反応されやすかったりする。昔あるバンドのことを貶してしまったことがあった。その時に共感かどうかわからないけれど多くのいいねがついた。逆に、リリースされた新譜への肯定的意見は全くいいねがつかなかった。
 反応がないことが問題なのではない。どう説明すればいいのかわからないのだ。ただ少し、居心地が悪い。
 
 だからなるべく他者に対しての否定的な意見は控えようと気をつけているのだけれど、実際に他者の目に映る私の発言がどういったものであるかは想像もできない。仕方ない。私にできるのは、なるべく攻撃的なツイートをしないよう気をつけることだけなのだから。

 そんな風に色々悩んでみても、結局文章だけで人との繋がりを感じれる場所は居心地がいいと感じる場合が多い。総合的にみるとTwitter、サイコー! なのである。なるべく早く辞めたいけれど。


 ──今年の年末はどういった過ごし方をしているのだろう。願わくば、またTwitterで退廃的に過ごしたいと思う。

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 シリーズモノのnoteを書こうと思った理由はいくつかある。
 ひとつは下書き供養。4編からなる四季シリーズは、全て現在までに降り積もったnoteの断片なのである。それを現在視点で再編集を加え投稿してきた。自分としては過去と現在の比較の意味も込めてある。
 その他の理由は区切りとして。大学4年間が終わろうとしている今、これからのことを考える必要があるのに、いつまでも過去がこびりついて離れないのは困った話なのである。そこで整理するという意味を込めて4つのnoteを書いたわけである。
 四季というのは1回の旅で終了するものではなく、先の見えないという意味で永遠に循環しものであり、連続の繰り返しなのである。また、一つの季節を見ても、過去現在未来の比較で成り立っている。「去年の夏は暑かった〜」「来年の夏こそフジロックに〜」なんてね。来年の冬に私は何をしているのだろうか。

 春はもうすぐそこだ。

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