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関係性

この世界は、
全ての存在とどう関わっているか、
繋がっているか。

そして、その関係性は、
流動的で、留まるものでは無い。

その都度その都度、
同じ人とでもモノとでも、
逢う度に関係性は違うものであることを、
理解しておく。

人間の世界では、
関係性や在り方に名前をつける。

職業や年齢や結婚や間柄etc。
全ての間は流動的に漂うのに、
ハッキリさせたがる。

私の仕事は〇〇です。
私は〇〇歳です。
彼(彼女)は夫(妻)です。

人には常にその仕事だけでは語れない自分をたくさん持っているし、
年齢に関係なく、好みの幅は広がるし、
一緒に居る人は、
友達にも、恋人にも、家族にも、あらゆる関係性になりうる。

今この瞬間はそれでも、
次の瞬間はそうではなくなるかもしれない流動的曖昧な生き物で在るのに、
どうしても決めたがる。
聞きたがる。
定義したがる、人間の性。

決めたら、安定安心するようで、
実は、その檻の中に封じ込めてしまうのに。

年齢や職業や関係性でくくるという檻の中。
そうでなければならないという謎の罠に、
自分でハマっていく。

就職も、運転も、結婚も、妊娠も、
先に決めるのではなく、
自分がそう在るから、そうする。
という流れなら、納得できるけれど、
先に計画を立てて動く不自然さが気に入らないんだと想う。

山の頂上に登ると決めるより、
歩いているのが楽しくて気付いたら頂上にきていた!というパターン。

今までの経験上、
頂上に登る!と決めると、
登らないと帰れないような、
目標で、ワクワクしているものでも、
先に決めてしまうとプレッシャーや義務に感じて瞬間を楽しめなくしてしまう不思議。

だからこそ、目標よりも、
プロセスに準じて生きていきたいんだと想う。
ゴールはひとつしかないけれど、
プロセスは無限に歩を進められるから。
頂上はひとつでも、
登山道はたくさんあるように。

全てを自然の流れから生まれるものに任せていたいと、生き方の中でつくづく想う。

それは私の人生の全てにおいて言えること。

だから、
自分の人生も、仕事も、恋人も定義できない。
ただただ、今在るものに全自分を投入する。

喜びも、
憎しみも、
苦しみも、
楽しさも。
全ての感情を。

私はそれを愛すると呼ぶ。

全ての感情が生まれるほど、
生を全うできていると感じる。

自分が嫌だと感じる感情を無理にポジティブに、
明るく努めるなんてしない。

それをしたら、
その感情を持った自分を自己否定しているのと一緒だから。

その感情が生まれたら、
そのままそれに浸るしかない。
そして、
それを理解してくれる人と一緒に居ることを選ぶ。

まずは自分が自分の在るがままを理解し、
全ての感情をただただ見つめてゆく。

全てが起こりうる地球という場がそうで在るように。

まずは自分が自分の事態全てを理解してあげる。
そうやって周りの人達の痛みや苦しみや怒りを理解してゆけるし、
感情というものがずっと留まらずに、流動的であることも感じていける。

どんなにネガティブな人だって、
ネガティブ一色で成り上がる人なんてありえない。
自分一人の中でも感情と感情のあらゆる関係性が発生している。
自分はこう、なんて定義できないあらゆる色の自分が存在する。
クレヨンのように。

一色一色、色はハッキリ別れていても、
全部がセットになってクレヨンと呼ぶように、
私たちの中にもたくさんの色が存在し、
顔を見せたり、見せなかったり、
全ての存在との関係性において、
あらゆる自分を出しては休め、また出していく。

地球の中ではそうやって、
全てがごちゃごちゃに、曖昧で、カオスに混ざり合い、
今まで一度として同じ関係性は生まれていない。
全ての関係性が常に新しい。

わからなくなったら、
地球を思い出す。
地球の在り方こそが私たちの在り方。

地球にはルールや規則や決め事はない。
ただただ、今在る全てを活用して生きていく。
これほど偉大なお手本は他にいない。

VIVA MOTHER EARTH♡


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