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7. 杉の箸削る手先の息白し

前号で『作家の珈琲』に載っている松本清張のことを書いたんですが、同じ本にエッセイスト高倉健のことも載っています。付き合ったことはありませんが、高倉健って、やっぱりいい人だと思います。

7. 杉の箸削る手先の息白し

 『作家の珈琲』にエッセイスト高倉健のことが載っている。高倉健のコーヒー好きも相当のものだったらしい。「夕食→サウナ→喫茶店が定番コース」という一文の中で、『日本侠客伝』や『緋牡丹博徒』などのシリーズに携わった映画プロデューサー・佐々木嗣郎が、

 「健さんは、サイフォンで点てるときのコーヒーの香りが好きで、いいなぁいいなぁと何度もつぶやいていました。」

 と京都撮影所時代を懐かしんで述べている。同じページに高倉健の初エッセイ『あなたに褒められたくて』の本の表紙写真が小さく紹介されている。四周を黒にしたべージュ色の地に、握り手のついた金属っぽいコーヒーカップが手書きされ、白い影のようなものが描かれていて、うっすらと湯気が立っている。なんとも地味な感じの表紙である。タイトルにもなっている「あなたに褒められたくて」の「あなた」は、高倉健の母親のことを指している。映画「八甲田山」を見た母親が、

「『あんたも、もうこんだけ長い間やってるんだから、もうちょっといい役をやらしてもらいなさいよ』って言う。
   『もうその雪の中のね、なんか雪だるまみたいに貴方が這い回って、見ててお母さんは――切ない』って。」

 母なればこその物言いである。高倉健といえども母親との会話は全く家庭の会話である。高倉健は日常生活をあまり表に出さない人であったというが、エッセイの中の優しい文章は親子の関係が暖かいものであることを伝えてくれる。母親のことを書いているときは本名の小田剛一が滲み出ているのかもしれない。あらためて、高倉健は 素敵だなと思う。中でも、私がいいなぁと思ったのは、「お心入れ」というタイトルの文章である。これは、まさしく高倉健である。田村高廣のお母さんのご親戚の方の話である。

 「毎朝、お茶が出るんですね、お濃茶とかお淡茶とか本格的な。そのお母さんの出してくれるお茶、勿論、茶室ですから掛け軸が十二月のものになったり、秋だと十五夜に関係したものだったり、こっちにこう季節の花があって・・・・・。
 お客様に対して、このもてなしをする・・・・・お心入れって言うんだそうですね。で、迎える側もさりげなく、でも思いを込めて掛け軸とかお菓子とか茶器とか、客の方もその思いをそっと理解するんです。
 出す側もあんまり何か言わないで・・・・・あなたのために、これやりましたっていわないで、なんとなくやって、客の方も、ま、これは本当になんとかでって言ってはいけないらしいんですね。」と書いて、「お心入れって、いい言葉ですよね。」

 と続けていく。恥ずかしながら、私は「お心入れ」という言葉をこの本を読んで初めて知った。心遣いや心配り、心尽くしなどはよく耳にするが、心入れという言葉を使ったことがない。調べてみると、久保田万太郎の『續末枯』にこんな一文があった。天久という天麩羅屋で、天麩羅が出てくる前に主人の計らいでお酒のつまみが出てくる場面、

 「膳が運ばれた。海苔だの、山葵を添えたハシラだのが、膳のうへについてゐた。――馴染の客だけにする、それは久さんの心いれだった。」

 1918年(大正7年)に発表された『老犬』がのちに『續末枯』に改題されたもので、約百年前の短編小説である。昔から使われていた言葉ということになる。そして近年では、村田吉弘が2017年(平成29年)11月号の『家庭画報』に連載していた「日本のこころ、和食のこころ」で、茶の湯のことを書いたものにも使われていた。

 「お茶事というのは人をもてなすこと、その労力を楽しめることが大切やないかな。お客様が喜んでくださる。それが自分の喜びでもある。そんな感覚でしょうか。例えば箸。(中略)茶の世界では亭主が手ずから削った杉の柾目の両細の箸が最高とされます。杉は軽くて持ちやすい(扱いやすい)すがすがしい香りがする。亭主が自ら削るという手間と心入れもあって唯一無二の箸となるのです。でもこれはその気持ちを理解して喜ぶお人がおってこそ成立するものなのです。」

 グローバル化が進めば進むほど、茶事や和食に凝縮されている日本の文化は際立ってくる。和食は「自然を尊ぶという日本人の気質に基づいた食に関する習わし」(農林水産省)というその特徴が評価されて、2013年(平成25年)にユネスコ無形文化遺産に登録された。茶道も登録申請の対象にする動きがあるらしい。ただ、登録による過剰なビジネス化は慎まなければならない。登録抹消の対象になる恐れがあるという。和食がもつ日本の文化を保持して継承することが真の目的なのである。和食を「思う心」とその思いを受け止めた「判る心」。あえて言葉に出さない日本人の「心入れ」の精神が試されている。

●高倉健『あなたに褒められたくて』集英社 2018年・・・高倉健の人となりが偲ばれる文章である。1993年度第13回日本文芸大賞エッセイ賞受賞。
●久保田万太郎『續末枯』岩波書店 1954年・・・『末枯』の続編で、時代の波に翻弄された末枯れのような寄席芸人の哀感を描いた小説である。
●村田吉弘『家庭画報』2017年11月号「日本のこころ、和のこころ」世界文化社 2017年・・・村田吉弘は、京都に本店を持つ料亭「菊乃井」の三代目主人である。

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