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わからないこと

今日は少しナナメなところを書いてみることに挑戦します。うまく伝わると良いなと思います。

こういう抽象的なことは、考え方は人それぞれ、経験によって様々な意見が出てきそうです。皆さんのお話も聞いてみたいな…と思います。

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どうして人は、誰か…人についてわからないことを『わからないまま』にしておかないのでしょうか。

人の気持ちや行動は、本人でさえ、わからない事があり、その時点では、説明できないことがあったりするものだと思うのです。

そんな状態の事を無理に言語化しても、しっくり来ない言葉に縛られる原因となってしまいそうです。その時発した言葉は、果たして適切なのだろうか?と思います。

本人が言葉を発していないとき、その状態を傍観した第三者の推測は、当たっているでしょうか?

少し嫌な話ですが、例えば、第三者によって、導き出された推測や憶測は『その方向に目線を向けさせるための誘導』である可能性もあります。

また、たとえ本人が発した言葉であっても、心の言葉であるとは限りません。『その場にふさわしいと感じた言葉を放った』だけであったり、『目の前の人のために発した言葉』である可能性もあります。

また、発した言葉に本人や周りの人が縛られたり、責められたり、争いの原因になるくらいなら、『発しない』という方法もアリかもしれないと思います。

複雑な背景がある場合、わからないことを突き詰めることには、あまり意味がないような気がします。

時間や環境が解決することもあるし、しないこともある。
特に人の気持ちは、追いかけて、わかろうしなくても良いような気がします。

自分の準備ができたとき『わかる』。
そんな事がたくさんあるように思います。

その時にわからないことは、『気にしなくて良いこと』また、『どちらでも良いこと』かもしれません。

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