ALFA+アルファ〜リアル・クロスオーヴァー進化論

④ 深町純

Text:金澤寿和

 70〜80年代を中心に、日本の音楽シーンを大きな足跡を残した作編曲家/キーボード奏者の深町純。東京芸術大学音楽部作曲科在籍中からプロ活動を始め、大卒間際に中退。スタジオ・ミュージシャンとして仕事をこなしながら、71年にシンガー・ソングライターとして初アルバムを発表している。その後フォークやロック黎明期のアーティストたちに多く関わり、75年発表の『INTRODUCING JUN FUKAMACHI』からクロスオーヴァー・スタイルのリーダー作品に取り組むように。日本のジャズ・フュージョン・シーンを牽引していく彼のパブリック・イメージは、そこからスタートした。

 深町を知る人にとって、彼とアルファとの関係で真っ先に思い浮かべるのは、深町純&ザ・ニューヨーク・オールスターズの78年作『ON THE MOVE』と、同年にレコーディングされた『LIVE』というアルファ・レコード発の2作品だろう。共にスティーヴ・ガッド (ds)、リチャード・ティー (key)、ランディ&マイケル・ブレッカー (horns)、マイク・マイニエリ (vibe)、アンソニー・ジャクソン (b) 、…といった米東海岸で活躍する世界的著名ミュージシャンを招集し、当時最先端にあったクロスオーヴァー/フュージョン・サウンドにトライしている。

『ON THE MOVE』(1978年)
『LIVE』(1978年)

 でも実のところ、深町とアルファの関係は73年頃には始まっていて。アルファ・ミュージック創設にも関わったミッキー・カーチスが、ルネ・シマールや左とん平のセッションに深町を呼び、そこから赤い鳥やガロなどアルファ中枢へと広がっていったようである。

 この頃の深町は、わずか2枚のアルバムだけでアーティスト契約を喪失。それに発奮して路線を変えたか、当時最先端だった電子楽器シンセサイザーの奏法を身に付けていった。日本に於けるシンセサイザー演奏のパイオニア:冨田勲が、もっぱらクラシックのアダプテーションに勤しんでいたのに対し、深町はシンセサイザーの可能性をポップスやロック・フィールドに広めた、そしてモノから急速にポリフォニック化していく技術革新に喰らい付き、スタジオ・シーンのシンセ第一人者としての地位を確立していく。

 ところがそこは作編曲にも才のあるヒト。74〜75年はTVドラマの劇伴が続いたことも手伝ってか、自分の音楽を作りたいという欲求が抑えられなくなったらしい。そこで作ったのが、前述した『INTRODUCING JUN FUKAMACHI』。これは当時の東芝EMI(現ユニバーサル)が、その時代のレコーディング技術の粋を集めて制作したプロユース・シリーズの一環で、録音機材のみならず、楽器やエフェクター類でも多くのトライアルが詰め込まれていた。

 これに続けて制作したのが、”深町純&21stセンチュリー・バンド”名義による『六喩』である。こちらもオリジナルLPは東芝EMI傘下のエキスプレスから発売されているが、制作自体はアルファ・ミュージックが担当。09年の初CD化は、今と同じ座組みによりソニーミュージックから復刻された。メンバーは大村憲司 (g)、小原礼 (b)、村上ポンタ秀一 (ds)、浜口茂外也 (perc)、村岡健 (sax) という、まさに日本のクロスオーヴァー・シーンを代表する猛者たち。これがキティ発の『SPIRAL STEPS』『THE SEA OF DIRAC』『TRIANGLE SESSION』を経て、3年後にニューヨーク・オールスターズとのレコーディングへと発展していくことになる。しかもこの作品群に併行して、『SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND』と『SECOND PHASE』と言うプロユース・シリーズ2作、ダイレクト・ディスクによるピアノ・ソロ集『JUN FUKAMACHI AT STEINWAY』の第1/2集と、実質4年間で10枚前後のアルバムを量産している。内容的にもシンセ・アルバムがあればピアノ・ソロもあり、加えてポンタや大村憲司のリーダー作、劇伴作品を作り、ポップ〜ロック系のスタジオ・セッションにも参加しているワケで、その創作意欲の迸りたるや、信じられぬほど。その中でニューヨーク・オールスターズを率いて和製フュージョン史に残る会心作を完成させたのである。

『六喩』(1975年)

 ちなみに『ON THE MOVE』には、深町の知名度を飛躍的に向上させたNHK時代劇のテーマ<Departure In The Dark>が収録されている。しかし番組に使われたのはヴァージョン違い。『ON THE MOVE』収録テイクは、ニューヨーク勢による新録ヴァージョンなのでお間違えなく。

 でもココで敢えて触れておきたいのは、深町の代表作として語られるニューヨーク・オールスターズ作品ではなく、その前の21st センチュリー・バンド名義の『六喩』の方。ポンタの述懐によれば、このバンドは実質的に深町、大村、小原、ポンタのカルテットだったそう。ライヴ・ステージも繰り返し行なっていたため、レコーディングはほぼ一発録りだったと言う。実際に6人が激しいインタープレイで火花を散らす場面もあれば、深町のピアノ一本でミニマル・ミュージックのような表情を演出するところも。”六喩”とは仏教用語で6つの無常観の喩えのことで、タイトル曲<六喩>は18分超の大作になっていた。そこには深町のルーツであるクラシックをベースに、ロック、ジャズ、ダンス・ミュージックの要素を大胆に混ぜ込んでおり、ジャズ・ロックやプログレッシヴ・ロックとも受け取れる。当時としては極めて新しい音楽が提示されており、その方向性を研ぎ澄まして行った先に、ニューヨーク・オールスターズとの共演があった。

 深町は2010年に大動脈解離により急逝。でも45年前にレコーディングされた『六喩』をいま聴いても、まるで古臭さを感じない。観念的な世界観で創られた音楽である、ということも関係するかもしれないが、こうして時代をいとも簡単に超越する感覚こそが、深町の標榜した音楽なのだ。