ALFA+アルファ〜リアル・クロスオーヴァー進化論

②横倉裕

Text:金澤寿和

 上原ひろみや狭間美帆、黒田卓也、BIGYUKI、そして松居慶子や小曽根真など、ワールドワイドに活躍する日本人ジャズ・ミュージシャンが増えている昨今。その先駆者としては穐吉敏子、渡辺貞夫、日野皓正らの名が挙げられるが、忘れたくないのがYUTAKAこと横倉裕の存在である。

 横倉裕は1956年東京生まれ。セルジオ・メンデスに大きな影響を受け、高校で組んだボサノヴァ・スタイルのバンドでヤマハ主催のライトミュージックコンテストに出場し、見事優勝を飾っている。NOVOと名乗るようになったこのグループは、73年に村井邦彦・作曲、山上路夫・作詞による「愛を育てる」でデビュー。しかしシングル2枚を出した時点で活動を止め、横倉は憧れのセルジオ・メンデスに師事すべく、村井を頼って単身渡米する。

 その後78年になって、デイヴ・グルーシン&ラリー・ローゼンによるプロデュースの下、L.A.でレコーディングした1stアルバム『LOVE LIGHT』を発表。これは日本ではアルファ・レコードからリリースされた。タイトル曲のリード・ヴォーカルはパティ・オースティンで、他にもスティーヴ・ガッド (ds), エイブラハム・ラボリエル (b) など、著名ミュージシャンが参加。その後81年になってアルファの現地レーベル:アルファ・アメリカから新装ジャケットで全米発売され、タイトル曲が全米チャート81位の記録を残している。

「LOVE LIGHT」国内盤(1978年)
「LOVE LIGHT」US盤(1981年)

 ところがアルファ・アメリカが短期間でクローズしてしまったため、後続はなく…。それでも88年になると、グルーシン&ローゼンが独立レーベルとして立ち上げたGRPレコードの第1号日本人契約アーティスト:YUTAKAとして前線に復帰。03年までの数年間で、『YUTAKA』『BRAZASIA』『ANOTHER SUN』の3作をリリースし、大きな注目を浴びるようになる。そのいずれもがセルメン・ファミリーとの蜜月を示すもので、GRP3作目『ANOTHER SUN』は、一部楽曲がYUTAKAとセルメンとの共同制作になっていた。

 こうした横倉裕〜YUTAKAの活動を、リアル・クロスオーヴァー的に俯瞰してみる。するとブラジル音楽やUS産ジャズ・フュージョン・サウンドに、どう和楽器を融合させるかに腐心していたことが浮かび上がってくる。『LOVE LIGHT』では彼の先輩格に当たる喜多嶋修(琴・琵琶)、松居和(尺八)を随所に起用。日系フュージョン・バンド:ヒロシマのダン・クラモト(共作)とジューン・クラモト(琴)も協力するなど、積極的に和楽器を導入している。米国で活動する日本人ミュージシャンとして、自分のアイデンティティを前面に打ち出しているのだ。

 それに対してGRPでの3作は、YUTAKA自身が和楽器をマスターしたらしく、琴は自分で演奏。松居和やダン・クラモトが引き続き参加しているものの、和楽器が活躍する場面がだいぶ減っている印象を持つ。反対にヴォーカル・パートは大きく増えたが、同時に彼のルーツであるブラジル音楽への傾向ぶりを提示し、自然体で曲を書いて演奏する、そうした佇まいなのだ。1作目では外から和楽器のスペシャリストを招いてフィーチャーする作りだったものが、自分で琴を演奏できるようになったことにより、ピアノや鍵盤楽器と並ぶポジションで、音色のヴァリエーションとして和楽器を用いている。そう、まるでシンセサイザーのトーンを変化させているかのように…。

 こうした変化は、ソロ・アルバムを作ることができなかった約10年の間の、彼の意識の変化に由来するのだろう。日本人であることをアピールしようと力んでいたのが1作目なら、現地で経験を積んだことで自信がつき、無駄に片意地を張らなくなった。海外に暮らすと、多くの人が、一度は自分が日本人であるコトを強く意識させられるという。それゆえ日本人である自分を主張するようになるが、在住期間が長くなると、無理にアピールなどせずとも、内面に潜む日本人的感性はいつの間にか相手に伝わっているコトに気づくそうだ。

 ましてYUTAKAは、渡米直後から日本人コミュニティには近づかずに暮らしていたという。20年も日本で過ごしたのに、数年も経たないうちに、彼は日本語が満足に使えなくなってしまったというから驚く。それだけL.A.が肌に合っていたのだろう。

 90年代後半からはカリフォルニア州アルハンブラに建てた自前のスタジオを拠点に、プロデューサー、アレンジャー、レコーディング・エンジニアとして活動。アーティストとしてのソロ活動は途絶え、国府弘子や小野リサ、ジョージ・ベンソン、ロレイン・フェザーなどのアルバムに参加する。また近年はカルロス・デ・ロザリオ(Carlos Del Rosario)という名義で、セルジオ・メンデスのツアー・サポートを行ない、日本にも何度か凱旋。熱心なファンを喜ばせた。

 今では津軽三味線や三線、琴、和太鼓など、日本古来の伝統楽器とポップスを結びつけ、大きな人気を得ている若手音楽家が少なくない。その原点にYUTAKAや喜多嶋修などがいて、少なからずアルファ・ミュージックと繋がりを持っていた。これもアルファの企業スタンスを表しており、なかなか興味深いところである。