ALFA+アルファ #4
〜はみ出した歌唄い ④ いしだあゆみ〜
Text:金澤寿和
昭和歌謡史を代表する名曲で、作曲家:筒美京平の出世曲としても知られている1969年の大ヒット「ブルーライト・ヨコハマ」。それを歌っていたいしだあゆみは、60年代初頭から児童劇団で舞台に上がり、1964年に歌手デビュー、すぐに女優としても活動を始めた超ベテランだ。その後も「あなたならどうする」「砂漠のような東京で」などをオリコン・チャート上位へ送り込み、NHK紅白歌合戦には通算10回出場した。
しかし70年代後半になると、TVドラマへの出演を重ねて女優としての絶対的評価を確立。80年代に入ると2度のアカデミー賞主演女優賞受賞など、大物としての地位を固めていった。その分、歌手活動は抑えられ、荒井由実のブレーンとして知られたティン・パン・アレー(細野晴臣・鈴木茂・林立夫ら)とコラボレイトした77年作『アワー・コネクション』が4年ぶりのアルバムに。これは彼女が当時の流行であるニューミュージックに挑戦した意欲作で、今ではシティ・ポップ定番の一枚に数えられるが、当時はあまり理解されずに終っている。それこそ注目されるのは、はっぴいえんどの再評価が始まった90年代中盤以降のことだ。しかし改めて振り返れば、当時のいしだはもう歌謡曲の謡唄いという立場に非ず、完全に女優の佇まい。作詞を手掛けた橋本淳も、日本的哀愁を都会の喧騒にサラリと流してしまう彼女の繊細な歌声を、見事にシナリオ化していた。
その後も年1枚ペースでシングルだけは出していたが、アルバムとなると、再び約4年のブランク。そしてアルファ・レコード移籍を挟んで発表したのが、81年の『いしだあゆみ』である。シックな和装に憂いを帯びた表情。儚さの向こうでほのかに漂うオンナの香り。そして、“これが私…”と静かに主張するシンプルなタイトル。これもまた歌手:いしだあゆみではなく、女優稼業の延長なのは明白だろう。
“おんなごころの様々を色彩感あふれるサウンドに乗せて、
岩谷時子、松任谷由実の詩を歌う”
これは、当時のLPレコードのキャッチコピーである。プロデュースはアルファの重鎮トニー有賀で、アレンジは井上鑑と篠原信彦。篠原はザ・ハプニングス・フォーやフラワー・トラヴェリン・バンド、トランザムなどを渡り歩いたキーボード奏者だが、この頃はいしだの旦那でもあったショーケンこと故・萩原健一のサポート・バンド:Donjuan R&R Bandにいた。その篠原と同バンドのドラマー:原田裕臣が、本作のアソシエイト・プロデューサーにクレジットされている。その辺りから、このアルバムがどういう経緯で作られたのか、おおよそ予想ができるだろう。
対して井上鑑は、ちょうど寺尾聰のシングル「ルビーの指環」とアルバム『REFLECTIONS』が空前の大ヒット中。いしだと寺尾はほぼ同い年で、寺尾にもG.S.経験があり、俳優として活躍中であるなど共通項が少なくない。ぶっきらぼうで呟くように歌う寺尾、奥床しく繊細ないしだと、ヴォーカル・スタイルにも相通じるフレイヴァーがある。井上鑑の起用は、それを狙いすましてのキャスティングだったかもしれない。作曲陣にも大橋純子の公私に及ぶパートナーとして知られる佐藤健、最近急速に再評価が高まる滝沢洋一など、アンニュイな作風を得意とするソングライターたちが集められた。ミシェル・フュガンの楽曲を日本語カヴァーする手法も、サーカス「ミスター・サマータイム」以来の定番アルファ・スタイル。
その中でも滝沢と岩谷のコンビで書き下ろしたシングル曲「赤いギヤマン」は、レゲエ・ビートを都市型サウンドにアダプトし、ちょっぴりオリエンタルなノスタルジアをまぶしている。わずかに歌謡テイストを香らせるが、そのあたり79年の年間チャート2位を記録したジュディ・オング「魅せられて」が念頭にあったか? 今では“ギヤマンって何?”ってなトコロだろうが、これは主に江戸時代に使われたヨーロッパ由来のガラス製品(カットガラス)のこと。今では国産の江戸切子や薩摩切子もギアマンに含まれ、高級醸造酒のボトルに採用されることもある。それこそ“赤いギヤマン”“青いギヤマン”なんて銘柄もあったようだ。
井上鑑がメイン・アレンジなので、当時彼が在籍していたグループ:パラシュートの面々(林立夫、今剛、松原正樹、斉藤ノブ、マイク・ダン)が勢揃い。この陣容も、当然『REFLECTIONS』と被っている。無駄を省いた少ない音数で、ウィスパー系のナイーヴな歌に寄り添う手法は、まさにトップ・セッション・ミュージシャン集団ならではだ。
『アワー・コネクション』が名盤とされるようになった余波もあるのか、この81年作もシティ・ポップとして扱われる機会が増えている。でもその枠で取り上げられると、いろいろ誤解を招きそう。何故ならコレは時流を意識したモノではなく、あくまでいしだのシットリ濡れた歌声を艶やかに聴かせるアルバムだからだ。したがって元・流行歌手の作品には止まらないし、俄か女優が演じるように歌うキャラクター・アルバムでもない。まさに旨い酒でも呑みながら、歌詞の世界を味わうように聴く、そんなオトナの作品である。彼女が本作以降、新しいアルバムを作っていないのは、寂しい限りだ。