奇跡的に“間に合った”最終バス。滝沢洋一『レオニズの彼方に』45年ぶり再発の舞台裏

text都鳥流星

2015年に初CD化された唯一作『レオニズの彼方に』(1978/東芝EMI)が「シティ・ポップの名盤」「奇跡の一枚」と高く評価されているシンガー・ソングライター、作曲家の滝沢洋一(2006年に56歳で逝去)。
 
その『レオニズ』が46年の時を経て、今年の8月3日にアナログレコード盤の形で45年ぶりに再発された。発売当時よりも鮮やかな黄緑透明のカラーレコードで、完全生産限定盤となっている。
 
『レオニズの彼方に』(完全生産限定盤)
 
ほとんど無名だったこの盤に光を当て、再発にまで漕ぎ着けるキッカケを作ったのは音楽ライターの金澤寿和氏だが、そもそもアルファと滝沢を結びつけた一曲が「最終バス」だ。
 
そのキーマンとなるのが、和田アキ子や松崎しげる、西城秀樹、松本伊代、そして葉加瀬太郎らのヒット曲を手がけたフリー音楽プロデューサーのロビー和田(和田良知)氏である。
 
和田は、フォーク団体「MRA」で高校時代の滝沢と知り合い、その才能を認めたことで、滝沢が1974年にRCAと作曲家契約を結ぶことになる。
 
滝沢が作曲家になれたのは、ひとえに和田あってのことだった。
 
今年2024年は、滝沢が和田のプロデュースによるチャコとヘルスエンジェル『一人ぼっちの君』で作曲家デビューしてからちょうど50周年の記念イヤーである。
 
その和田は1975年~76年頃、滝沢をRCAからソロデビューさせようと奔走していた。
 
当時、滝沢はバックバンド「マジカル・シティー」(青山純、伊藤広規、新川博、牧野元昭)とともにオリジナル曲を練習しており、彼らの演奏で滝沢のソロを制作しようと画策していたという。
 
RCAのディレクターだった岡村右、エンジニアの益本憲之らの協力も得て、連日デモテープ作りにはげんでいたが、その中で和田がプロデュースを手がけた一曲が「最終バス」であった。
 
冬のバス停で最終バスを待つ乗客と、車窓が映し出す都会の風景を情感たっぷりに描いた歌詞は、滝沢が住んでいた外交官の家族専用の学生寮「育英寮」の寮友である山口純一郎の作品だ。
 
その美しい詞世界を艶やかに彩る、洗練されたメロディと日本人離れしたコード・プログレッション。
 
「最終バス」(RCA版デモテープ)
 
しかし、滝沢のデモは通らず、RCAからのソロデビューは幻となってしまう。
 
こんなに美しい曲を書ける日本人はそうそういない。和田は諦めなかった。「最終バス」を収録したデモテープを持ち込んだのが、村井邦彦の経営する音楽出版社「アルファミュージック」であった。
 
アルファ入社2年目の粟野敏和氏は、和田が持ち込んだテープの中でも「最終バス」の美しいメロディに聴き惚れた。
 
「最終バス」に心を奪われた粟野が「滝沢に会いたい」と申し出たことで、滝沢とマジカルが、アルファと初めて繋がることとなった。
 
滝沢の楽曲を聴いた粟野は「まるでギルバート・オサリバンのようじゃないか」と、欧米風のメロディ・センスを感じたという。
 
その後、滝沢は和田が繋いだ「最終バス」の縁で、粟野がディレクターとして初めて手がけたアルバム『レオニズの彼方に』を発表することができた。
 
以下は、佐藤博がアレンジを手がけた『レオニズ』レコーディング時の「最終バス」デモテープである。アレンジの違いを聴き比べてみるのも面白い。
 
「最終バス」(アルファ版デモテープ)
 
『レオニズの彼方に』は、ロビー和田と粟野敏和という滝沢の才能を認めた二人によって、音楽という名の「最終バス」に“間に合った”奇跡によって誕生したのだ。
 
ぜひ、今回の再発レコード盤をお聴きいただき、その奇跡の軌跡に触れていただきたい。
 
『レオニズの彼方に』(完全生産限定盤)
 
参考:
滝沢洋一と「マジカル・シティー」が起こした世界的シティ・ポップブーム“47年目の真実”【Vol.1】奇蹟的に発見された大量のデモテープ(MAG2 NEWS)