ALFA+アルファ〜リアル・クロスオーヴァー進化論

⑨ 喜多嶋修

Text:金澤寿和

 4月某日、新生アルファ・ミュージックのスタートを発表するコンベンションが開催された。その幹部の話の中に、これまでアルファ社内に眠っていた未発表音源のリリースや未CD化作品の復刻を積極的に進めていきたい、という旨の発言があった。ならば、と是非お願いしたいのが、喜多嶋修のアルファ作品復刻だ。調べてみたら、今年は喜多嶋の米国移住からちょうど50年。若い世代に限れば、日本よりも海外の方が今の知名度は高いかもしれない。

 喜多嶋修は1949年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。加山雄三が母方の従兄弟にあたり、64年、兄と共に加山のバンド:ザ・ランチャーズ(第2期)のメンバーとして音楽活動を始めた。10代半ばという若さが問題視されることもあったが、67年には加山の元から独立。ザ・ランチャーズ(第3期)としてレコード・デビューし、折からのG.S.ブームに乗って注目される。しかし大した成功も収められないまま、71年に解散に至った。

 しかしこの時の喜多嶋には、もっとやりたいことがあったようである。ビートルズやビーチ・ボーイズに心酔していた彼は、ザ・ランチャーズのレーベル担当エンジニアだった吉野金次と親しくなり、その影響もあってか、本場のレコーディング・メソッドを見学すべく渡英。ロンドンでスタジオ機材や録音技術を学んで帰国すると、吉野と二人三脚でアルバム制作に入った。こうして完成したのが、71年にアトランティック・レーベルで出されたジャスティン・ヒースクリフの唯一作。喜多嶋はここでマルチ・ミージシャンとして一人多重録音にトライし、中期ビートルズに感化されたスタイルを提示している。一方プロデューサー的発想が強かった吉野は、それを機に日本初のフリー・エンジニアに転身。商業的には厳しかったものの、業界内では驚愕を以って迎えられたこの作品がキッカケで、細野晴臣がはっぴいえんど『風街ろまん』のミックスを吉野に委ねることにしたのは有名だ。

 だが喜多嶋に探究心は、それに止まらなかった。渡英で日本人としてのアイデンティティを刺激されたか、純邦楽の研究に取り組み、約3年を費やして洋楽・邦楽を独自にミックスする手法を確立。琴や琵琶、鼓、尺八など、日本の伝統楽器を大胆に取り込んだアルバム『弁財天(BENZAITEN)』を完成させ、それを全米発売に漕ぎ着ける(74年)。前後して米西海岸へ移住。ワールドワイドな活動を始め、US在住の邦人アーティストのパイオニア的存在になっていく。『弁財天』をリリースしたアイランド・レーベルからはもう1枚、77年に『OSAMU』を発表している。


喜多嶋修「DRAGON KING」(1981年)

 アルファとの縁ができたのも、おそらくこの頃だろう。いや、G.S.時代から村井邦彦とは面識があったかもしれない。でも直接的には、以前本コラムで紹介した横倉裕『LOVE LIGHTS』(78年/L.A.録音) に全面参加して、琴や琵琶をプレイしたことが、ひとつの契機になったと想像がつく。セルジオ・メンデスに師事すべく渡米した横倉が、ピアノだけでなく琴を自分のシグネイチャーに選んだのは、間違いなく喜多嶋の影響だろう。更に和楽器を使った日系人のグループ:ヒロシマが、79年にアリスタからデビュー。そうした背景が作用したのかもしれない。かくして喜多嶋はアルファへ移籍し、80年に第1作『MASTERLESS SAMURAI(素浪人)』、81年に『DRAGON KING(竜王)』をリリース。前者にはジョン・クレマー (sax) やボビー・ハッチャーソン (vibe) といったジャズ・フュージョンの著名ソリストや、ヴィクター・フェルドマン (pf) 、エイブ・ラボリエル (b)、ラス・カンケル (ds) アレックス・アクーニャ (ds) など、L.A.の実力派が多数参加した。対して後者では、後にソロでも活躍するフィル・ペリーやリーナ・スコットのヴォーカルを導入。他にもハーヴィー・メイスン (ds)、ジェイムス・ギャドソン (ds)、バニー・ブルネル (b)らが参加している。そしてこの辺りの歌モノが90年代以降のレア・グルーヴ・シーンでDJ諸氏によって取り上げられ、ちょっとした再評価の対象になった。『DRAGON KING』US盤は喜多嶋自身のピンアップを大写しにしたモノクロのアートワークで、ヒロシマ同様アリスタからの発売。中古アナログは一時、貴重盤として結構な価格が付いていた。和楽器が使われているとはいえ、基本フォーマットは都会的で軽くステップが踏めるようなファンキー・フュージョン・スタイルだから、クラブ方面で気楽に楽しまれたのだろう。今また80年代スタイルのジャズ・フュージョンが取り沙汰される機会が増えているので、『DRAGON KING』に対するニーズもまた上昇機運にありそうだ。このアルバムは、コロナ・パンデミック前にヨーロッパのインディ・レーベルでCD化されたが、できることなら当時の日本リリース元だったアルファで、日本が世界に発信したアルファらしい仕事のひとつとして、強くアピールしていただきたい。

 80年代後半以降の喜多嶋は、米Columbiaや日本のエピック・ソニーからニューエイジ/アンビエント系の作品を数多くリリース。併行してハリウッドを拠点に、TV・映画音楽方面で作編曲/プロデューサーとしても活躍している。また音楽療法士として、世界初のミュージカラー・セラピーを開発したそう。何れにせよ、日本がもっと世界に誇るべきミュージシャンであることに疑いはない。