第11回 ガロ

 かぐや姫やアリスなど、1970年代には3人組のフォーク・グループが多く登場したが、その先駆者的存在だったのがガロだった。72年にリリースした「学生街の喫茶店」が73年の2月にオリコン・シングル・チャート第1位を記録。その後も、「君の誕生日」(73年)、「ロマンス」(73年)、「一枚の楽譜」(73年)と立て続けにヒットを飛ばし、同時期にヒットを放ったかぐや姫と共に一世を風靡した。

 堀内護(マーク)は、ザ・ティーンズ、ザ・ディメンションズを経て、67年にジ・エンジェルスにて由美かおるのバックを担当してギタリストとしてプロ・デビュー。エンジェルスでは、「白夜のカリーナ」でデビュー予定だったが、デビュー直前に解散となり、同曲はザ・バロネッツが69年にリリースした。なお、エンジェルスの音源は、編集盤『GO! CINEMANIA REEL 6 - THE NEW TASTEMENT OF G.S. SOURCE』(00年)にタイトル不詳のインスト曲が1曲収録されている。
 日高富明(トミー)は、松崎しげるとアウトバーンズとして活躍。アウトバーンズとエンジェルスは共に新宿御苑スタジオを使用しており、そこで堀内護と出会う。同時期に2つのバンドは解散して、堀内護は松崎しげるとのバンド結成を画策するが、松崎しげるがギターに日高富明を推薦。ツイン・ギター編成によるバンドのミルクを68年に結成した。ミルクは、冬にはホットミルク、夏にはアイスミルクとバンド名を使い分け、71年にホットミルク名義で「ハッシャバイ」でデビューするも、その時には堀口護も日高富明も脱退している。なお、ミルクの担当マネージャーはのちの宇崎竜童が担当していた。ミルクでの活動のあと、日高富明は堀口護とフォーク・デュオを結成。その合間、2人はロック・ミュージカル『ヘアー』の日本人キャストのオーディションを受けるが、堀口護のみが合格。大野真澄(ボーカル)とのダブル・キャストで、ウーフ役を担当する。
 大野真澄は、イラストレーターを目指してセツ・モードセミナーに入学。ダウンハーツや東京キッドブラザースを経て、『ヘアー』のオーディションを受けていた。

 堀内護と日高富明のデュオでの活動がザ・タイガースのマネージャーの中井國二の目に留まり、フラワー・トラベリン・バンドのコンサート中に、ロビーでゲリラ・ライブを行うことになる。その際、12弦アコースティック・ギターを貸すために会場に来ていた大野真澄も一緒に参加することになり、即興でクロスビー・スティルス&ナッシュのナンバーを披露。これがきっかけとなり、70年11月にガロが結成。ガロという名前は、中井國二が将来の子供のために考えていた「我郎」から名づけられた。そして、かまやつひろしのバック・バンドを経て、村井邦彦が社長を務めていたマッシュルーム・レコードから71年10月にシングル「たんぽぽ/一人で行くさ」でデビュー。

GARO『GARO』(1971年)

 11月には、1stアルバム『GARO』をリリース。ミッキー・カーチスをプロデューサーに迎え、バックは、山内テツ(b)と原田裕臣(ds)というサムライのリズム隊が担当。ほか、武部秀明(b)、神谷重徳(g)、飯吉馨(p)などが参加している。全曲が日高富明と堀内護の作曲による楽曲で、オープン・チューニングを使用した「暗い部屋」ほか、和製クロスビー・スティルス&ナッシュと称させられるにふさわしい楽曲が並ぶ。「地球はメリー・ゴーランド」は、現在でも人気の和モノ・スタンダードのひとつ。とはいえ、オリコン・アルバム・チャート最高第68位に留まったことから、外部作家作品を歌わせてシングル・ヒットを狙うことに。
 72年6月に2ndアルバム『GARO2』をリリース。村井邦彦とすぎやまこういちによる提供曲と洋楽曲のカバーという構成で、オリジナル曲を望むファンからは批判的な意見も上がったが、彼らのリリースしたアルバムの中では本作が唯一のオリコン・アルバム・チャート第1位獲得作品となった。バックを、井上堯之(g)、大野克夫(kbd)、細野晴臣(b)、岸部修三(b)原田裕臣(ds)らが担っている。アルバムに先がけて、「美しすぎて」と「学生街の喫茶店」のカップリングを先行シングルとしてリリース。6月にリリースされた当初は「美しすぎて」がA面だったが、7月にTBSラジオ『ヤングタウンTOKYO』の「今月の歌」に「学生街の喫茶店」が選ばれ人気に。11月には、「学生街の喫茶店」をA面にしたデザインにリニューアル。その勢いのまま、前出通り73年2月にオリコン・シングル・チャート第1位を記録。4月まで7週連続で1位に座り続け、73年の年間チャートでも第3位を記録。『日本有線大賞』では新人賞を受賞して、国民的グループに躍り出た。なお、「美しすぎて」はアルバム・ヴァージョンでは大野克夫が、シングル・ヴァージョンでは飯吉馨がアレンジを担当しており、別ヴァージョンとなっている。なお、ミキシングを担当した黒田典夫は、吉沢典夫の別名義だ。
 72年12月には、村井邦彦と瀬尾一三のプロデュースによる3rdアルバム『GARO3』をリリース。先行シングルとして「涙はいらない/明日になれば」がリリースされたが、「学生街の喫茶店」の人気が急上昇中だったため、ヒットには至らず。但し、全曲がメンバー3人の楽曲で、また演奏も、当時彼らのバックを担当していた小原礼(b)や高橋幸宏(ds)らが担っており、本来の彼らの音楽性を感じさせる作品となっている。
 73年には、「君の誕生日」、「ロマンス」、「一枚の楽譜」と3枚のシングルをリリース。「君の誕生日」のオリコン第1位をはじめとして、すべての曲がベスト10にランクインするなど絶頂期を迎える。その最中にリリースされたライヴ・アルバム『GARO LIVE』はオリコン・アルバム・チャート第4位を記録した。同作では矢島賢(g)、後藤次利(b)、チト河内(ds)などを配する柳田ヒロ(kbd)グループがバックを担当。同年にはミッキー・カーチス、村井邦彦プロデュースによる4thオリジナル・アルバム『GARO 4』もリリース。村井邦彦とすぎやまこういちという専業作曲家とメンバーの作品が半分ずつ。バックも、水谷公生(g)、江藤勲(b)、田中清司(ds)、大野克夫(org)など、当時の歌謡曲/ニューミュージックのファースト・コールのミュージシャンが担い、ニューミュージック色が強くなってくる。なお、「朝・昼・夜」は、村井邦彦が69年にリリースした楽曲のカヴァーで、ほりまさゆきもカヴァーした。
 過酷なスケジュールと、ミュージシャンというよりもアイドルとしての扱われ方などで、74年ごろから徐々に足並みがそろわなくなる。3月にすぎやまこういちと村井邦彦がそれぞれ提供した「姫鏡台/僕は死なないだろう」をリリースするが、オリコン最高第24位と不調に終わる。5月にリリースされたミッキー・カーチスのプロデュースによる5thオリジナル・アルバム『サーカス』は、全曲の作詞を山上路夫が(一部は堀内護と大野真澄が)、全作曲をメンバーが、全編曲を深町純が担当した意欲的な作品。バックは、深町純(kbd)や村上“ポンタ”秀一(ds)などが担当。サーカスを人生に見立てたコンセプト・アルバムで、アーティスティックなサウンドを味わえるも、オリコン・チャートでは最後にランクインしたアルバムとなった。
 75年にリリースした6thオリジナル・アルバム『吟遊詩人』は、全曲の作詞を阿久悠が、編曲を松任谷正隆が担当。クロスビー・スティルス&ナッシュをプログレッシヴ・ロック化したかのような「吟遊詩人」、R&B色のある「アドベンチャー」、クロスオーヴァ―の影響を感じさせる「愚かな遊び」など、フォークの枠からはみ出したヴァ―サタイルな音楽性を披露も、ランクインせず。バックには、シュガーベイブの山下達郎(cho)、大貫妙子(cho)、村松邦男(cho)、伊藤銀次(g)、寺尾次郎(b)、上原“ユカリ”裕(ds)が参加。ほかに、大村憲司(g)、細野晴臣(b)、原田裕臣(ds)、吉田美奈子(cho)などが参加している。
 同年12月にはラスト・アルバム『三叉路』がリリース。メンバーそれぞれが曲を持ち寄り、それぞれでプロデュースするというプロジェクトのようなスタイル。制作前にすでに解散が決まっており、そのためにこのような構成となった。堀内護のセットには、深町純(kbd)、武部秀明(b)、村上“ポンタ”秀一(ds)が、日高富明のセットには、デストロイヤーの佐野俊之(b)と小泉正男(ds)などが、大野真澄のセットには、ジュリエットの遠藤誠一(エンマ/kbd)と秋本良一(b)と相良宗男(ds)などが参加した。

 76年3月に解散後、堀内護は、ミルキーウェイの蛭田龍郎とバースディを結成するも、蛭田龍郎が2カ月ほどで脱退。ガロのバックも担当していたジュリエットの遠藤誠一と新生バースディを結成するもまもなく解散。遠藤誠一が参加できないときは、同じ事務所のアルフィー(THE ALFEE)が演奏を担当していた。バースディは、同年11月には自然消滅。その後は2枚のソロ・アルバムをリリース後音楽活動休止。2013年にはマーク from GAROとして音楽活動を本格的に再開。アルバム1枚リリースするも14年に他界。亡くなる2か月前までライブを行っていた。
 日高富明は、実弟の日高義之(g)らが結成していたデストロイヤーに加入。ファイヤーと改名して活躍するも、レコード・デビューには至らず。その後、2枚のソロ・アルバムをリリースして、元コスモス・ファクトリーの豊田邦仁(ds)らとMa Ma Doo!!を結成。シングル2枚をリリースした。83年からは堀内護とのデュエットでガロの名義で活動。日高富明が出演できない際には、アルフィーの坂崎幸之助が代役を務めた。不定期ながら、堀内護とライブを行っていたが、86年に他界。
 大野真澄は、アルフィーをバックに従えツアーを開始。ソロ・アルバムを5枚リリースする傍ら、2004年には元かぐや姫や風の伊勢正三と太田裕美となごみーずを結成。現在でも定期的に活動しており、3枚のアルバムのほか、06年には書籍『なごみーず』の本を刊行している。

Text:ガモウユウイチ