ALFA RIGHT NOW 〜ジャパニーズ・シティ・ポップの世界的評価におけるALFAという場所

第五回「滝沢洋一を探して①」

Text:松永良平

 2021年春、一本のダイレクトメールがSNSを通じて届いた。メールの内容を要約すると、こういうことだった。

 「2006年に亡くなられた作曲家でシンガー・ソングライターの滝沢洋一さんの特集記事を企画しており、ご協力のお願いを致したくメールにてご連絡させていただきました。今年の4月20日で、亡くなられてからちょうど15年を迎える滝沢洋一さんの音楽活動の軌跡を、ビートたけしさんに提供された名曲「CITY BIRD」を軸にしてたどる特集記事になります」

 滝沢洋一! あのシティ・ポップ名盤かつレア盤として名高い『レオニズの彼方に』(1978年/東芝EMI)の。そして、ぼくの大好きなビートたけしの「CITY BIRD」の作曲者の(※滝沢洋一ヴァージョンでは「シティーバード」)。メールの出し主は、どうやら僕が1月にしていたこのツイートを見つけて連絡をしてくれたらしい。

 (ツイートより)ビートたけし「CITY BIRD」をアルファ50周年サイト「ALFA50」でプレイリスト作るときにいただいた出版管理楽曲リストで見つけて驚いた。作者の滝沢洋一が作家契約していたからか。しかし、この曲でのたけしの歌唱はすばらしい。日本のイアン・デュリーとなる道もあったとすら。

 この「ALFA50」サイト内のシリーズ企画〈アルファミュージック蒐集録:アルファ・オールタイム・ベスト -わたしのこの1曲-〉に参加させてもらった際に、「CITY BIRD」がアルファ管理楽曲だったため自分のセレクトに入れることができたのがうれしくて思わず書いたツイートだった。とりたてて「いいね!」が多くついたわけでもないあのツイートをこの人が見つけたのは、きっと「滝沢洋一」で熱心に検索をしていたからだろう。
 こんな酔狂なオファーもなかなかない。きっと好きな気持ちに突き動かされている人に違いないし、文面も信用できる。ツイート転載の許諾と「好きな滝沢洋一楽曲」を2曲挙げる約束をして、その熱意に協力することにした。
 それからひと月もしない4月20日、滝沢さんのご命日にネット公開され、大きな話題を呼んだのが、この記事だ。

〈シティ・ポップの空を翔ける“一羽の鳥” 〜作曲家・滝沢洋一が北野武らに遺した名曲と音楽活動の全貌を家族やミュージシャン仲間たちが証言。その知られざる生い立ちと偉大な功績の数々〉

 この記事を読んで、ぼくも多くの読者同様に驚嘆した。これほどの濃度とは思っていなかったし、なにしろほとんど知らないことだらけだったのだから。いや、もっと正確に言うと、滝沢洋一についてぼくらがほとんど知らなかっただけで、彼の人生と仕事は想像以上に濃厚なものだった。

 デビュー以前の滝沢さんのバック・バンド名が〈マジカル・シティー〉といい、しかもそのメンバーが青山純、伊藤広規、新川博、牧野元昭? KOEIのゲーム音楽を手掛けていた? 未発表のセカンド・アルバムが存在した? そして現在サブスクリプションで公開されている滝沢楽曲をすべて網羅した膨大なプレイリスト!
 記事を読み終えて、軽い気持ちでツイートの転載を許諾したことを後悔した。「知られざる才人」の一言で片付けてきたことが恥ずかしい。これはきっと、没後15年の節目に向けて何年もかけて準備されてきたプロジェクトに違いない。
 滝沢さんの足跡も興味深いものだが、この記事を書かれた「都鳥流星」さんこそいったい何者なのだろう? そんなことを考えていたら、しばらくしてまたメールをいただいた。そこには滝沢さんの記事公開後に進みはじめたいろいろなことが書いてあった。ペンネームの由来は「CITY BIRD(都鳥)」と「レオニズ(しし座流星群)」だという。やりとりをするうちに、都鳥さんとどうしても直接お会いして見たくなった。都鳥さんも滝沢洋一についてのリサーチをさらに進めたい意向があるという。
 没後15年の節目に突如動きはじめたアルファ・アーティスト滝沢洋一の失われた歴史を、この連載〈ALFA RIGHT NOW〉で都鳥さんと一緒にやることは、いいアイデアだと思えた。何より軽い気持ちで曲を選び、ツイートをした自分が次にやるべきことは、都鳥さんの熱意、そして滝沢さんが音楽にこめていた情熱を掬い上げることだと思う。

 そして取材当日、ぼくの目の前に都鳥さんが座っていた。「そもそも滝沢洋一さんにご興味を持たれたきっかけは?」という最初の問いに答えて、都鳥さんは一本のカセット・テープをテーブルに置いた。

ハイ・ファイ・セット大全集+

 「これは『Best One '82 ハイ・ファイ・セット大全集』という1982年に発売されたカセットのベスト盤です。実は、これは私の母親の持ち物なんです。母は学生時代に赤い鳥のコピーバンドで、ボーカルをやっていて、赤い鳥から分家したハイ・ファイ・セットのファンでもあったんです。なので、私が子どもの頃も、毎日このカセットをエンドレスで流しながら家事をしていたんです。

 ずっと流し続けていたので、発売当時小学生だった私もほとんど全曲覚えてしまいました(笑)。なかでも、強烈に印象に残っていたのが滝沢さん作曲の〈メモランダム〉で、おしゃれな音楽だなと子どもながらに思っていました。

 高校生くらいになって、あの曲はいったい何だったのか気になって、CDショップにハイ・ファイ・セットを探しに行ったんです。ところがその当時は彼らの旧作はCD化が進んでいなくて、ベスト盤のCDしか出ていなかった。しかも〈メモランダム〉はそこに入っていなかったんです」

ーーーーーつまり、しばらくは子どもの頃に聴いた幻のメロディのままだったんですね。

 「そうです。のちにYMOが好きになって、ハイ・ファイ・セットもアルファレコードに在籍していたとか、そういうつながりもだんだんわかってきたんですが、その頃の追跡はそれで終わっちゃったんです。

 それが動き出したのは、2020年4月、アルファ50年事業の一環でハイ・ファイ・セットの曲がサブスクで解禁されたときです。77年のアルバム『ダイアリー』を聴くと、あの〈メモランダム〉が入ってるわけです。そのとき、“そういえばあの曲を作った人は誰なんだろう?”と、あらためて興味を持ちました。そこで初めて滝沢洋一さんというお名前に辿り着きました。それまでがすごく長かったんです。約40年くらいかかりました(笑)。

 さらにネットで調べたら、〈メモランダム〉には滝沢さん本人バージョンがあるということを知りました(『レオニズの彼方に』収録)。2015年に発売されたCDはすでに完売していたので困っていたんですが、(20年)7月に今度は『レオニズ〜』のサブスクが解禁になったじゃないですか。それを聴いたらぶっ飛んだんです。〈メモランダム〉だけでなく、アルバム全部の曲が素晴らしい。捨て曲が一曲もない、とんでもない作品でした。すごい人がハイ・ファイ・セットに曲を提供していたんだと、ここで初めてつながったんです」

ーーーーーということは、つい一年くらい前なんですね。

 「すごい人だから文献がないか調べたら、滝沢さんに関してはなんにもないんですよ。Wikipediaはおろか、ネットで詳細に解説しているようなページもない。唯一あった情報はCDが出たときの金澤(寿和)さんのライナーノーツくらいだったんです。

 そこで、まずは楽曲のリストを作り始めました。滝沢さんの作曲した曲の情報を集めようと、ネットで「作曲 滝沢洋一」のキーワードでひたすら検索し続けたんです。だいたい検索し終わった頃に、JASRACの楽曲検索でも調べてみたところ、100曲くらい出てきました。いろんな人に曲を提供しているし、その中には著名なシンガーも多い。大野方栄やAMY、いしだあゆみなど、最近再評価されているアルバムにも名前が出ていたりする。サーカスのアルバムでは、全曲の半分くらい滝沢さんが曲を書いてるんです。あのアルファのプロダクションで半分くらい曲を書かせるって、相当に信頼を受けていたか、採用されるだけの能力がない限りありえないことじゃないかと思いました。

 それから、周辺の当事者に話を聞いて、どういう人だったのかを浮き彫りにする作業をするべきじゃないかと思ったんです。そのタイミングで、松永さんが〈CITY BIRD〉のツイートをされているのを発見しました。今年(21年)の1月の終わりくらいだったと思います。自分が興味を持ったタイミングでいきなりツイートが出てきたのでびっくりしました。

 『レオニズの彼方に』は評価されているけど、滝沢さん自身を音楽家として評価している文章が何処にも存在していなかった。そんなリスト化や資料探しを続けるなかで、ビートたけしさんに曲を書いていたということを知り、聞いてみたらすごくいい曲だけど、これもやはりそんなに知られていない。だけど、いいと思って私が気にしていた曲を、音楽ライターの人が言及してるということは間違いないなと、あのとき直感が確信に変わったんです」

ーーーーーそれがあのDMにつながったんですね。なんだか光栄です。

 「さらに調べていく過程で、山下達郎さんのリズム隊を務めていた青山純さんと伊藤広規さんが、2013年4月と5月にホストを務めた『伊藤広規と青山純のラジカントロプス2.0』(ラジオ日本)という番組に突き当たりました。その放送で、お二人がどういう経緯でプロになったかをお話ししていたエピソードが、ネットにテキストで書き起こしされていたんです。そこで、青山さんが“もう亡くなったけど、滝沢洋一というシンガー・ソングライターの人がいて、その人のバックバンドで僕らがマジカル・シティーというのをやっていて、そこが始まりなんだよね”みたいなことをさらっとおっしゃっていて。その書き起こしがあったおかげで、滝沢さんとマジカル・シティーとの関係が初めてわかったんです」

ーーーーーその経緯は〈まぐまぐニュース!〉の記事でも語られていましたが、そんなタイミングだったんですね。青山さんはその放送があった年(2013年12月3日)に亡くなられていますから、よくぞその話を残してくださったと感謝するしかないです。

 「はい。“昔のことを知ってる人がいた!”と興奮しました。伊藤さんが江東区のコミュニティFMで番組をされていると知ったので、その番組のページからダメもとで伊藤さんにアクセスしました。そしたら返信が来まして、“懐かしいんで話がしたい。ついてはその当時のメンバー全員呼んでリモートで座談会にしたほうが、自分だけの記憶より正しいと思うのでどうですか”と。願ってもないことでした。また同じタイミングで、滝沢さんのご長女で歌唱指導のお仕事をされている睦月えみるさんにも連絡が取れました。2本の取材が実現できることになって、だったらちゃんと滝沢さんの記事を書こうと思い、〈まぐまぐニュース!〉に企画書を出したんです。それが3月後半くらいでした。企画書の段階で“4月20日のご命日までに記事を出します”と書いていたので、あと1ヶ月あるかないかくらいでした。その時点であったのは、まだ未完成のリストのみだったんですが」

ーーーーーいやあ、びっくりです。数年がかりくらいの記事だと思っていましたから。

 「ご長女のインタビューで、滝沢さんの墓石に〈CITY BIRD〉という文字が刻んであることを教わりました。墓石に書いてあるということは、この記事のテーマは〈CITY BIRD〉で間違いない。そう決意を新たにしました。写真の撮影許可をお願いしたところ、ご遺族とお墓参りへご一緒させていただけることになりまして。結果的に、そこがあの記事の最後になりました。

 記事公開後もリサーチは続けています。滝沢さんのWikipediaもご遺族の公認で作成しました。記事を公開したら、かつて滝沢さんにお世話になったという方からご連絡があったり、あのアルバムが私の生涯ベストだとおっしゃるフランス人の方からもメールが来たりしましたね。カナダやアメリカからも反応があったかな。結構、日本だけではなく海外からも反応があったんです。

 ネットも悪いものではないなと思いました。サブスクにも助けられましたし、プレイリスト機能もありがたいです。簡単に作れて人に聴かせられるし、滝沢さんの作曲作品だけをまとめることもできましたし。検索をしていなければ、マジカル・シティーのこともきっと当事者たちの思い出だけで終わっていたと思います」

画像2

 まさに最高のタイミングと都鳥さんの突進力が可能にした奇跡。偶然だとご自身は謙遜されているが、こんなに真摯に愛を注いだからこそ、「幻の存在」の向こうからヒントがこぼれだしてきたのだとも思う。
 次回は、当時のアルファレコードで滝沢洋一を起用したディレクター、有賀恒夫さんに話をうかがう。

〈追記〉
つい先日、都鳥流星氏の滝沢洋一記事の中国語(繁体字)版が公開された。
今後、中国語圏のシティ・ポップ・リスナーにもこの情報が共有されることが望まれる。
https://www.mag2.com/p/news/520735?fbclid=IwAR3LQ_thtifA61QSEx_A8gj9VwR7ZjRG8S1HC4I-OSim8EEdtUU55zvdmbY