ALFA+アルファ #2

~はみ出した歌唄い ②大野方栄~

Text:金澤寿和

「大野方栄は天才です」

 赤塚不二夫による、そんな驚愕のキャッチコピーで世に出たシンガー、大野方栄(まさえ)。デビューは1983年の夏、アルファレコードのトップ:村井邦彦のお眼鏡に適ってのことだった。

 当時の彼女は、ちょうど25歳になるところ。シンガーとしては決して早いデビューではなかったが、実はこの時、彼女はもう“CMソングの女王”としての実績を持ち、約300もの楽曲を歌っていたという。だからデビューといっても、ただの通過点。まったく無名の存在だったが、そちら方面では既に充分すぎるキャリアを持っていたのだ。

 デビューまでの彼女のプロフィールを、急ぎ追っかけてみよう。2歳頃からクラシック・ピアノを習い、ティーンエイジャーの頃はニューミュージックやシティ・ポップの胎動に触れた。松任谷由実の荒井時代やシュガー・ベイブ(山下達郎・大貫妙子)らのライヴ・ハウス時代のパフォーマンスも観ているそうだから、こりゃあ筋金入りである。そして当時のユーミンのバック・バンド:ダディ・オーのメンバーと知り合い、誘われるままにシンガー・ソングライターのコンテストに応募。結果は入賞に留まるが、クラウン・レコードのディレクターに気に入られ、前田憲男&ティン・パン・アレーやムーンライダーズのレコーディングにコーラス参加。ライダーズがCM仕事を多く受けていたため、彼女も駆り出されるようになった。ロックもジャズもポップスも…、というジャンル超越の極意は、その頃のCM仕事で身についたらしい。ただしブラジル音楽との出会いは中学生の頃というから、かなり早熟。近所にあったレコードショップの店員に仕込まれたらしいが、現在の彼女がブラジル音楽に傾倒した活動を行なっていることを考えると、とても軽視は許されまい。高校の頃にはバンド活動も始めていたそうだ。

 CM音楽を歌っていただけあって、声の表情は“豊か”を軽く通り越し、ベイビー・ヴォイスから色香タップリの声色ウィスパーまで、ドラスティックに変化(へんげ)する。ブロッサム・ディアリー、リンダ・ルイス、ミニー・リパートン、デニース・ウィリアムスとか。いわゆるレインボー・ヴォイスの系譜。そして最大の特徴がヴォーカリーズ。ジャズのソリストによるアドリブ・ソロに歌詞をつけて歌うスタイルで、彼女はマンハッタン・トランスファーがウェザー・リポートの「バードランド (Birdland)」をヴォーカリーズにしたのを参考したとされる。

大野方栄『MASAE A LA MODE』(1983年)

 でも演っていることはアカデミックでも、それでは売れないと考えたのか。デビュー・アルバム『MASAE A LA MODE』のプロモーションでは、特異な歌詞のセンスを強調。音専誌への出稿には“大野方栄的言語感覚の持ち主でない限り、とうてい大野方栄を形容できない”なんて、分かったようでよく分からないキャッチが踊り、ウディ・ハーマン楽団で有名な「For Brothers」の日本語版「For Darling」の歌詞が丸ごと掲載された。そしてその内容は、当人が憧れていたという2DKの新婚生活。そんな調子で、ミシェル・ルグラン「La Femme Fatale」、スタン・ゲッツの名演で知られる「Eccentric Person, Come Back To Me(恋人よ我に帰れ)」、アントニオ・カルロス・ジョビン「Desafinado」に斬新な日本語詞を乗せているのだ。このジョビンの楽曲なんて、現在はオリジナル詞以外のカヴァーは許可されないから、とても貴重な存在である。

 でも一番話題になったのは、当時YMOと並んでアルファのドル箱スターだったカシオペアの人気曲「Take Me」、新曲「Long Term Memory」に歌詞をつけた「朝のスケッチ」という2曲のヴォーカリーズ。実はカシオペアは、この『MASAE A LA MODE』全ての演奏も担っており、熱心なカシオペア・ファンにも注目された。同じくその頃人気絶頂だったシャカタク「Invitations」のヴォーカリーズ「さよならの風景」も、音楽ファンに注目されたと記憶する。

 アルバム用に書き下ろされた「ドーナッツショップのウェートレス」「Xmasの夏」は、近年再評価が高まるソングライター:滝沢洋一の作品。彼は本作プロデューサーであるトニー有賀のお抱え作家で、ハイ・ファイ・セットやサーカスへの楽曲で知られる。アルバムを通じての演技のようなヴォーカル・スタイルやヴォーカリーズも、実のところ有賀のアイディアらしく。ピッチに厳しくシンガー泣かせで知られるだけあって、意見の衝突は少なくなかったらしいが、CM音楽で研鑽されたヴォイス・パフォーマーとしての魅力と、作詞の独創性をヴォーカリーズで束ね、最大限の威力を発揮させた点はサスガとしか言いようがない。それを具現化させた故・佐藤博のアレンジにも注目したいところだ。

 話題作りのためか、ブックレットに寄せられたコメントも、冒頭の赤塚不二夫を筆頭に、林真理子、大野雄二、井上鑑に各メディアのキーパーソンと、かなり労力を費やしたはず。結果としてヒットには繋がらなかったが、作品の評価はかなり高く、知る人ぞ知る優れた才能を発掘して大きく売り出す手法、とりわけジャズやポップス方面に手厚い点は、如何にもアルファ/村井邦彦らしかった。しかし大野方栄は、このデビュー盤を残しただけで、忽然と姿を消す。実際にはCM仕事や作詞、スタジオ・ワークは続けていて、歌ったCMソングは800超まで膨らんだそうだが、彼女自身が自分の看板で表舞台に立つことはなかった。その理由が寿退社だったと明らかにされたのは約30年後、2012年に復帰を果たし、自分のレーベルからコンスタントに作品リリースするようになって以降のコトである。

 現在、『MASAE A LA MODE』を越すアルバムを作るべく、新しい制作に勤しんでいるという大野方栄。長期ブランクがありながらも、“CMソングの女王”というパブリック・イメージを汚すことのない凛とした歌クチは、やはり圧倒的。「天才は忘れた頃に帰ってくる」のだ。