第13回 ブレッド&バター

 ブレッド&バターは、岩沢二弓が菅井義雄(b)と組んでいたGOOD THINGSに、六文銭に所属していた兄の岩沢幸矢が参加したのがはじまり。岩沢幸矢は、明治学院大学卒業後に渡米。麻田浩と共同生活を行い、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで過ごす。帰国後に小室等らと六文銭を結成してシングル「それから/五年目のギター」(「それから」は岩沢幸矢が作曲を担当)をリリースするも、約一年間参加したのちに脱退していた。
 やがて、4人編成のフォーク・ロック・バンドのブレッド&バターとして活動を開始するが、ディレクターの渡辺忠孝と知り合ったことによりデュオとしてデビューすることになり、フィリップスに入社したばかりの彼が最初の仕事とディレクションを担当した。渡辺忠孝の実兄である筒美京平に楽曲を依頼し、ブレッド&バターは、シングル「傷だらけの軽井沢/白いハイウェイ」で1969年9月25日にデビュー。ライヴでは、林立夫(ds)が参加して、岩沢幸矢、岩沢二弓、菅井義雄、林立夫の4人編成が基本だった。並行して、後藤次利(b)、浜口茂外也(perc)らが参加した9人編成によるブラス・ロック・スタイルの編成でも活動していた。
 フィリップスで3枚のシングルをリリース後、岩沢幸矢が情報番組『ヤング720』のレギュラーになったのをきっかけに、ザ・タイガースの岸部シローと懇意になる。クロスビー・スティルス&ナッシュ・スタイルのトリオを結成することになり、ポリドールへ移籍。シローとブレッド&バターとして、タイガースの解散コンサートでデビューした。
 71年にシングル「野生の馬/雨の日のあなたは」など2枚のシングルと1枚のアルバムをリリース。当時は、岸部シロー、岩沢幸矢、岩沢二弓に加え、後藤次利、林立夫、田中正子(p)という編成でライヴを行っており、B.B.キング、フリー、ビージーズのオープニング・アクトを行うなど精力的に活動したが、岸部シローが多忙になったことから72年にトリオを解消している。
 再びブレッド&バターとして再デビューの際に、ライヴでも対応できるバンド・スタイルに再編成、その際は、岩沢二弓、岩沢幸矢に加え、菅井義雄、林立夫という4人編成に。『ムーンライト』収録の「雲」をラリー・コリエル風にアレンジするなど、音楽性の幅も広がっている。
 73年には日本コロムビアに移籍してデュオとして「風」で再デビュー。同名アルバム『風(Images)』は、スティーヴィー・ワンダーがキーボードで参加しており、話題となった。当時のライヴでのメンバーは、岩沢幸矢、岩沢二弓、菅井義雄(perc)、秋山新之助(b)という編成である。その後、元あほうどりのリズム・セクションだった松永進(b)と松島通昭(ds)、元ジプシー・ブラッドの永井充男(g)が参加するも、永井充男はサディスティック・ミカ・バンドに参加するためにすぐに離脱。74年にリリースした「ピンクシャドウ/うつろな安息日」の「ピンクシャドウ」は、山下達郎や三田寛子がカヴァーしたことで、シティ・ポップ・スタンダードとなっている。また、このころには、菅井義雄(cho, perc)と猪野佳久(cho)を加えたヴォーカル・カルテット・スタイルでフロントに立っていた。
 75年「セーリング・オン・ボード/にわか雨」をリリース後、一旦活動を休止。茅ケ崎にライブハウス「カフェ・ブレッド&バター」をオープンさせ、営業を行う。

 活動休止後、岩沢幸矢は並行して作曲活動を行い、自らの作品のプロデュースを旧知のスティーヴィー・ワンダーに依頼するべく渡米。スティーヴィーはアルバム『キー・オヴ・ライフ』(76年)を制作中だったこともあり、プロデュースの夢は叶わなかったが、ほぼ毎日レコーディング・スタジオに足を運んだ。そのため、同アルバムにはレコーディング中にスタジオを訪れたキャロル・キング、ジェフ・ベック、デヴィッド・ボウイなどに交じって、岩沢幸矢の名前もクレジットされている。
 そして、岩沢幸矢はスティーヴィー・ワンダーからプレゼントされた「I Just Called To Say I Love You」を手土産に帰国。木崎賢治をプロデューサーに迎えて、ソロ活動用として録音を開始するも、渋谷ジァン・ジァンで行われた岩沢二弓のライヴにゲスト参加したのがきっかけにコンビが復活。カフェ・ブレッド&バターで行われた彼らのライブを、音楽評論家の吉見佑子が気に入りアルファを紹介するに至った。諸般の事情で「I Just Called To Say I Love You」のリリースができなくなったことから、松任谷由実が書き下ろした「あの頃のまま/渚に行こう」(「渚に行こう」は岩沢幸矢が作曲を担当)と、アルバム『レイト・レイト・サマー』で79年にアルファレコードから再々デビューした。プロデュースは、松任谷由実やハイ・ファイ・セットなどを手掛けた有賀恒夫が担当。「ジュリアン」などの岩沢幸矢がソロ・アルバム用に書き溜めた楽曲と、有賀恒夫の目指す音楽的方向性が一致して、のちに「湘南サウンド」と称されるサウンドを生み出した。「タバコロード20」、「THE LAST LETTER」、「SUMMER BLUE」など、近年のシティ・ポップ・ブームで人気の楽曲が多数収録されており、人気高騰中のアルバムだ。

ブレッド&バター『MONDAY MORNING』(1980年)

 翌80年には『MONDAY MORNING』をリリース。同作には、松原正樹(g)、今剛(g)、小林泉美(kbd)、マイク・ダン(b)、林立夫などパラシュートのメンバーがバックを担った。彼らとバンドのような一体感を感じられるアルバムで、「クルージング・オン」、「マティーニを飲みながら」、「Paradoxical Love」などクラブ・ユースなトラックも多く、前作に引き続いて人気の作品である。「Monday Morning」は、松原正樹のギター・ソロが印象的な彼らを代表するバラードのひとつ。
 81年にはアルファで3枚目のアルバム『パシフィック』をリリース。引き続き井上鑑(kbd)をはじめとするパラシュート陣営が中心になってバックを担い、高品質な楽曲が並ぶ。松任谷由実が作詞を担当した「ホテル・パシフィック」や「湘南ガール」、シティ・ポップ・スタイルなポップ・チューンの「カタカタ想い」や「お食事どこでする?」など人気曲が収録されている。

 82年以降は、TDKレコードやファンハウスに所属。諸事情でお蔵入りになっていたスティーヴィー・ワンダー提供の「特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)/引き潮カフェ」(84年/「引き潮カフェ」は岩沢二弓が作曲を担当)や彼が提供した「REMEMBER MY LOVE/REMEMBER MY LOVE(日本語 バージョン)」(86年)、映画『タッチⅡ』の主題歌「さよならの贈り物/岸辺のフォトグラフ」(86年)、フィフス・アヴェニュー・バンドのピーター・ゴールウェイがプロデュースを担当したアルバム『ミッシング・リンク』(89年)や『マリエ』(90年)などの話題作をリリースした。
 98年には、直枝政太郎(直枝政広)と棚谷祐一のプロデュースで、彼らが所属するカーネーションがバックを担った新録のベスト・アルバム『BB★C』をアルファミュージックからリリース。タイトルの『BB★C』とは、ブレッド&バターとカーネーションのことで、2つのグループの出会いによるケミストリーを感じさせる佳作。「ピンクシャドウ」や「REMEMBER MY LOVE」などのリメイクのほか、直枝政太郎と棚谷祐一と岩沢二弓の共作「DOLPHIN」など、キャリアを総括しながらも現在進行形のサウンドとなっている。「REMEMBER MY LOVE」は、打ち込み中心のオリジナル・ヴァージョンから一転、生の演奏でのバンド感あふれるサウンドにリメイクされている。

 その後は、テリー伊藤とのユニットthe YOO-HOO!などを挟みながら、岩沢幸矢は、ファミリーのユニットのOHANA BANDや、夫人であるMANNAと矢島賢・マキ夫妻とのユニットであるLight houseで、岩沢二弓も娘のSeemaと結成したmondayzで活動。また、それぞれ岩沢幸矢『BAREFOOT』(98年)、岩沢二弓『Fuyumi -岩沢二弓-』(97年)のソロ・アルバムをリリースするなど、現在もマイペースに活動を行っている。近年では、ライヴ・アルバム『ロック・ソサエティ・ウラワ(1972 RSU夏の陣)』(20年)が発掘されたり、シティ・ポップ観点からのベスト・アルバム『Light Mellow BREAD & BUTTER』(20年)がリリースされるなど、シティ・ポップを経由した若い世代からも大きな支持を得ている。

Text:ガモウユウイチ