ALFA+アルファ〜リアル・クロスオーヴァー進化論

⑦ 佐藤博

Text:金澤寿和

 前回のYMOに続いての佐藤博。ご存知の方も多いと思うが、細野晴臣がYMOに繋がる最初の構想を思いついた時、キーボードの候補は、当時一番プレイする機会が多かった佐藤博、そしてドラムは林立夫だった。元々は彼ら3人と、林が見つけたシンガーMANNAを看板に、ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンド風のスタイルで「イエロー・マジック・カーニバル」(ティン・パン・アレー「キャラメル・ママ」に収録)をカヴァーするアイディアだったらしい。しかし高1の頃から大学生の細野と行動してきた林は、そろそろ独り立ちしたいと考えていた。そして自分の手でMANNAをプロデュースすべく、細野のプランをご破算にする。

 対してティン・パン・アレー後期からファミリーに加わった佐藤は、この頃の細野のチャンキー・サウンドに触発され、日本人にしかできない音楽を作りたいと考えていた。そこへ多忙なセッション・ワークに嫌気が差していたことが重なり、米国に旅立つことを決心。細野がアルファで作ったトロピカル3部作最終盤『はらいそ』(78年)では、林も佐藤も大きな貢献を果たしたが、その立場はあくまでセッション・ミュージシャンであった。両人から袖にされた細野は構想を練り直し、『はらいそ』収録曲「ファム・ファタール」で、坂本龍一・高橋幸宏と共演。YMOとなる3人が、そこで初めて一堂に顔を合わせたのである。

 L.A.に渡った佐藤は、当初は新しいソロ・アルバムを作るつもりでいたらしい。が、諸般の事情でそれは叶わず、サンフランシスコに移ってエイモス・ギャレットとセッションしたり、再編スペンサー・デイヴィス・グループに参加してクラブ回りを行なっていた。80~81年のことである。しかし長期滞在となったためにビザの書き換えが必要となり、事情に明るいアルファ創設者の村井邦彦に相談。その時、設立準備中だったアルファ・アメリカの専属になるカタチで、米国に残ることができた。そうした関係から、自然に“次のソロ作はアルファから”という流れが生まれていったと推測される。

佐藤博「awakening」(1982年)

 今や単なる佐藤の代表作というだけでなく、和製ポップスのマスターピースとして定番化している82年作『awakening(覚醒〜めざめ)』。その理由は、ドラム・マシーンとシンセサイザーを多用していながら、普遍的なヒューマン・グルーヴを実現したからだ。それこそ、“打ち込み系シティポップの金字塔”と呼ぶにふさわしい作品なのである。そしてその契機となったのが、黎明期のリズム・マシーンの名機リン・ドラムとの出会い。ハービー・ハンコックの80年作『MR.HANDS』に収録された「Textures」を聴いた佐藤は、強い衝撃を受けた。これはまさに、ハービーが初めてリン・ドラムを使ってレコーディングした実験的ナンバーだったのだ。
  「これがあれば、日本でも自分の音楽が作れる!」
 ティン・パン周辺以外の日本のリズム・セクションに不満を抱いていた佐藤は、そう思ったそうだ。

 彼はティン・パン勢との交流、あるいは山下達郎や角松敏生が彼の白タマのピアノ・プレイを絶賛したことで、ピアノ奏者として注目された。でも実際のところ、彼の音楽的ルーツはエルヴィス・プレスリーとビートルズ。高校生の頃からベースやドラムをはじめ、一人多重録音で音楽を作り始めた人だった。日本人のオリジナリティを生かして音楽を作りたい、でもそれには外国人のリズムが不可欠というロジックで渡米したが、そうしたこだわりは米修行中に消え失せた。そしてリン・ドラムとの出会いが、彼にアマチュア時代の精神性を思い出させた。

 ちなみにリン・ドラム(LM-1)というのは、1980年に発売されたサンプリング形式のドラム・マシン。いわゆるデジタル楽器黎明期の名器である。開発者のロジャー・リンは、元来レオン・ラッセルのバンドのギタリストで、エンジニアやシンセ・プログラムも兼任していた。LM-1はハンコックやスティーヴィー・ワンダーが最初のユーザーとされているが、そのプロトタイプを使って音作りを行なうことができたのは、おそらくリオン・ラッセルの方が先だったと思われる。

 何れにせよ、リン・ドラムの登場に背中を押された佐藤は、早々に日本へ帰国。シークエンスなどが未発達のため、いろいろと制限は多いものの、多重録音スタイル(+若干のゲスト)でジックリ時間を掛けてレコーディングを進めた。ビートルズ・カヴァーを含む構成、自由な精神状態、それがこの『awakening』に結実している。覚醒とは、まさにこのアルバムを作った時の佐藤の心情。本作以降のソロ・アルバムが、すべてこの作風の延長にあるという点からも、本作が佐藤博にとって真の目覚めだったことは疑いない。

 作品の中身に関しては、ここでは何も言うまい。ちょっとネットで検索したら、夥しい数の賛辞が出てくるし、それについては何の異論もない。海外から逆輸入される楽曲が多い最近のシティポップ・ブームでは、多少話題になる機会は減っているものの、そこに鎮座する『awakening』の存在価値は、ブームと共に去ってしまうコトなどないのだ。