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【雑談】好きの正体

明日は夏至。

スピリチュアル的に大きな意味を持つ日だが、ここではそれについては語らず。

私は「好きとは何か」ということについて、時々考える。

先週、妻と散歩しているときだった。

私がふと、あることに気がついた。

「あ、そういえば、今月って結婚記念日じゃない?」

妻は、全く忘れているかのように答える。

「あー、そうだねぇ。忘れてたよ」

正直、これが本音かどうかは今でも区別がつかない。

結婚してからどれくらい経ったのか、頭の中で計算した。

「今年で・・・29年目だ」

私は、大抵の記念日は忘れてしまうが、結婚記念日だけは、覚えている。

お互いのリングに刻まれているからだ。

数歩歩いて、妻はこう言った。

「じゃあ、あと1年、がんばりますか」

その時、思った。

・・・がんばる?

受け取り方によっては、この発言は、嫌味に聞こえる。

ただ単に「好き」だからじゃなくて、がんばっているからなのか?

いや、まてよ。

30年、がキリの良い数字だから、そういったのだろう。

それに、僕自身、そういう数字の区切りは大好き。

それよりも、もっと大きなことに、気がついた。

「好き」とは何か。

それは

「そのために頑張ろう」と思えるコト

ってことじゃあないのか。

それが歌や料理のように、直接的なコト、もあれば・・・

 その人のためなら何でもできる

私は、女性に対してそう思うことが、とても多い。


私は今、この話を、数時間しか会ったことのない女性に向けて書いている。

その女性とは、また会いたいと思っている。

なぜなら「好きとは何か」ということについて、その女性は誰よりも答えを知っていそうだから。

その女性の会話の一つ一つが、重く感じることもあれば、軽いようにも聞こえる。

でも、相手が望まなければ、ずっと会わない可能性もあるだろう。

会わなくても、この話が何を意味しているか、いつか感じてくれたら、
その女性は将来を不安に思わずに、好きなことをして生きていけるようになると思う。

そのまま、多くの人と毎日出会う仕事を続けること自体が、多分正解なんだろう。


この話は、とても若く、その割にとてもしっかりしている貴女にも向けている。

その人は、すでに好きなことをしている。

けれども、「好きとはなにか」をうまく他人に説明できるだけの自信を持っていない。

その人は少し偏った知識をたくさん持っているので、そもそも知識というものには自然界のものと人が作り出したものの二つがあるのだけど、その区別がまだついていない。

貴女がエンジニアのスキルを習得したら、どんな人の悩みにも寄り添って解決できる素晴らしい女性になるだろうと思っているけど、そもそも今が満たされているのだから、まだ手を貸す必要は無いと思っている。


この話はさらに、未来にこの会社を背負うだろう女性の後輩二人にも向けて書いた。

子育ては大変だけど、自分自身の「好き」を知るのに、子供が自分に向けるまなざしが原動力の一つであり、やがては若手を見る目も自分の子供のように思える日が来る、ということに、5年後にでも気がついてくれたら、たぶんこの会社は大丈夫だ。


最後に、この話は、未だに忘れられない彼女に向けて書いている。
彼女はもう、僕の方を向いてはくれない。

ただ、今でも僕は、彼女のために全力でしていることがある。

そのことは、今のままでは、その人には一生分からないだろう。

それでも、僕には「それ」をするだけの価値があると感じさせるだけの魅力を彼女が持っていた、ということに気がつけば、きっと彼女は周囲の人を幸せにする力がある。

でも、彼女はいまだにそれに、気がついていない。

それでも僕が気の遠くなるようなこの作業をするのは「彼女が好きだから」なんだろう。



僕はそもそも、「好きとは何か」ということを突き詰める必要なんて無いと思っていた。

ようするに

人を好きになるのに理由なんていらない

それが一つの結論だと思っていた。

けれども「理由が無い」では、自分の好きに対して、反省もできなければ、測ることもできない。

今日、この日に「好きの正体」に気づけたのは、僕の人生の大きな分岐点だろう。


好きとは何か。

それは、僕の人生にとっては

「行動できる理由」

だった。

いままでは。

そして、これからも。

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最後まで読んでいただきありがとうございました✨


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