私は私の人生を歩むんだ

父親から、心理的虐待を受けていた。


確かに、肉体的な暴力を受けたことはなかった。特別裕福ではなかったにしろ、お金に困ることもなかった。

それでも、私があの人に深く傷つけられたのは間違いない。

父はよく怒る人だった。(父は生きているけれど、私が父に苦しめられた日々を過去のものとするために、過去形を使わせてほしい。)少し気に入らないことがあると、イライラをすぐに表に出す。ひっきりなしに怒鳴る。


私が食べ物をこぼしたとき。床にゴミが落ちているとき。眉間に皺を寄せた恐ろしい顔でこちらを見て、何をしているんだと言う。

たしかに私は同じ失敗を何度も繰り返したけれど、決してわざとやっているわけではなかった。それに、子どもなら私に限らずするであろう失敗であることも、一度の失敗から全てを学び取れる訳ではないことも、大人なら容易に想像できることだったはずだ。それなのに、容赦なく責められた。度を超えて強い怒りを向けられた。

それは私にとって、単なる注意ではなかった。私という存在自体を否定し拒絶する行為だった。なぜなら、私が私である限り不注意をなくすことはできないであろうと思っていた(し、今でも思っている)からだ。


それだけではない。

機嫌の良いときと悪いときがあって、その両方が恐ろしかった。
機嫌が悪いときは、なぜだかわからないけれど見るからに怒っていて、先ほど述べたよりもずっと些細なことで怒鳴り始める。
では機嫌の良い(ように見える)ときはというと、ずっと機嫌が良いわけでもない。やはり少しでも気に入らないことがあると途端に顔色を変えて怒るのだ。それでも機嫌の良いときがないわけではないものだから、その度にやっぱり大丈夫かもしれないと思って、やはり裏切られるということの繰り返しだった。

後から考えれば、明らかに理不尽な理由で怒っていた。いや、理由など存在せず、ただ怒りがわいてくるから怒っていたのだろう。


あの人は、お前が悪いんだ、だから俺は怒らないといけないんだと言う。
その言葉にどれほど苦しめられたか知れない。

きっと、育てなければいけないから育てていただけで、殺してはいけないから殺さなかっただけで、私のことが邪魔で仕方なかったのだろう。いなくなってほしかったのだろう。


母は、中立の立場だった。言い方はひどいけれど、あの人の言っていることは正しいのだから。よくそう言った。明確に父の味方をすることも私の味方をすることもなかった。ただ、当時の私はどこかで、この人は父の味方をしているのだと思っていた。

子どもにとって、親は神様のようなものだ。子どもは、まず親を信じるようにできている。親が正しいのだと思うようにできている。それに、親は簡単に子どものことを殺せるし、親に捨てられれば子どもは生きていけない。縋りつくしかない。

そんな存在からどす黒い剥き出しの怒りをぶつけられたら、と想像してみてほしい。
凄まじい憎悪が、躾めいた言葉とともに向かってくる。それを、お前が悪いのだから当然だと正当化される。
自分が悪いんだ、そう信じずにいられるだろうか。
もう一人の、どちらかといえば自分の味方だと思っている親からもそれを肯定されたとしたら、その確信を深めずにいられるだろうか。


高校生の頃、怒鳴られ続けた時期があった。
父が怒って物に当たることもあった。壁にいくつか穴が空いた。
その暴力が、次は自分に向かうかもしれない。いつかきっと向かってくる。いつか殺される。
そう思わせるのに十分な恐怖を、あの人は私に与えた。
父に会うのが恐ろしいあまり部屋から出られなくなった。いつか殺されるなら死んでしまおうかと何度も思った。けれど強い抑うつで、自殺する元気もなかった。

そのギリギリの状態から救い出し、父から離れた環境に生活の場を与えてくれた人がいた。そうでなければ、私はきっといま生きていない。ふと元気を取り戻したときに自殺していたか、父に殺されていただろう。

今でも、少しのきっかけで怒鳴られたときの絶望が戻ってくることが時々ある。体が硬直し、涙が止まらず、自分の存在意義を否定せずにはいられなくなるあの感覚が。

(診断を受けたわけではないが)おそらく複雑性PTSDのフラッシュバックなのだろう。

父の姿を見るだけでも、声を聞くだけでも、名前を見るだけでもフラッシュバックが起こる。
その可能性をできる限り排除しなければ安心できない。
これは回避症状なのだと思う。

最も残酷な言葉をぶつけられたのであろう時の記憶が抜け落ちているのは、感覚を麻痺させることでやり過ごしているということかもしれない。


実は、父が悪かったのだと気づかせてくれたのは母だった。
自分を責める言葉や死にたいという言葉を吐き続ける私に、こう言ってくれたのだ。
「あの人はあなたのせいで怒っていたわけではない。あなたが何もしなくても怒っていた」と、何度も言い聞かせてくれた。
父を悪く言うことはないけれど、私だけを選んでくれるわけではないかもしれないけれど、母は私を正しく愛してくれているのだと思えた。
そのことを支えにして、私は生きていくのに必要な自己肯定感をなんとか保っている。

父に裏切られなかったことなど一度もないのに、自分を殺してもおかしくない人なのに、私は結局あの人の子どもだから、あの人を信じようとしてしまう。そんな自分を必死に抑えることで、父に支配される人生を終わらせようとしている。

今が、私の人生を始める時だ。
あの人によってかけられた呪縛を少しずつ解きながら、自分の足で歩いていくんだ。


(そんな決意を世界のどこかに残しておきたくて、この文章を書きました。あなたのことを証人だと思わせていただけたら僥倖です。長いこと読んでくださって本当にありがとうございました!)



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